6 原発に対する態度
さて、平田は原発に対してどのような態度をとっていたのだろうか。その問いに答えるのに先立って、小高町と原発との関係について確認しておこう。1968年1月に福島県知事・木村守江が東北電力浪江・小高原子力発電所の建設構想を表明した。また小高町側も吉田広衛町長時代(66~74)に原発を誘致する方針を採ることとした。しかし浪江・小高原発は、浪江町の農民・舛倉隆らの反対により長らく着工されずじまいであったところに、原発事故が起こったこともあって、ついに2013年3月に東北電力は建設計画の取り止めを発表するに至った。このように原発問題は小高町に暮らしていた平田にとっても決して他人事だったわけではない。
しかしながら、当時平田は原発に対して賛否の意思を明確にすることはなかった。筆者が平田と親しく交流していた新藤や甥の良則氏の対して、平田の原発に対する態度について尋ねたところ、両者ともに平田とは一切原発に対して話し合ったことはなかったと語っている。
ただし、平田は「農村だより」において、同誌の会員にして小高町議でみあった山本重助の反原発・反資本主義の詩を幾編か掲載することはあっても、原発を推進すべきであるとする意見を一切掲載することはなかった。ここで山本の詩の一節を以下に紹介することにしよう。
1
安全性を確かめる
大事な錠は持たされず
原発できても
百姓開発(よくなる)計画あるじゃなし
(中略)
2
資本家の手を借りて
ダムを造るは危険(危ない)千万(しごと)
他人の力をあてにせず
百姓こぞって活動し
ダムつくれ
9
農業振興整備法
色々花を咲かせれおるが
中味は百姓土地を手放す
途ひらく
10
百姓ぼやぼやしておると
頭の先から尻毛まで
すっからかんと
先祖の墓で己の馬鹿に泣いて
悔やむ……時がくる
11
原発ダム、農振法
一歩あやまればどんな事
どこを向いても槍先ばかり
これじゃ百姓
思想の武装なしには
一歩もあゆめぬ1972年
山本の上記の詩は、反原発を除けば、前述のような平田の農業構造改革事業法などに対する批判と内容的に重なるところがあると言えるであろう。山本は「農村だより」に詩以外にも、小高町議選に共感を覚えていたものと考えられるだろう。
柴田哲雄「甦る平田良衛」