歴史的、状況的な条件は異なるものの、その革命論の純真さにおいては同じような雰囲気を感じさせるのは面白いではないか。片やその歴史的第一歩を踏みだし始めた共産主義者の元祖の記念すべき宣言であり、一方はまた「独りの革命」をみずから曖昧模糊たる文体で封じ込めようと、これまた戦後日本の文学史上に未完の作品を書きしるしはじめた彼流のユニークな革命論宇宙論である。
「死霊」を一度読み終えたところで、「死霊」に言及のあるいくつかの評論を読み、そこで得た作者についての年譜的知識は、作者が生来持っていたアナーキーなものが、レーニンの「国家と革命」によって爽快に論破された昭和四年から数年を経て、昭和七年に共産党に入党していることであった。
このことにより、右のマルクス項代入の必然は証明された訳だが、実は手元に買うだけ買ってあったこの本を読む気になったのは、つい先日(昭和五十X年のことだが)ある知人が埴谷雄高をべたぼめして語ったことによる。
彼曰く「埴谷雄高、あれはいい、俺と考え方が似ているところがある。分からないところもあるが面白いんだ――云々」
私は、この人物と話しだすと必ず不愉快になるな、と直感したが、案の定そのとおりになった。彼に聞きかじりであった「自同律の不快」なる概念を指摘すると、彼は「なあんだ、知ってるじゃないか」と大喜びであった。結局、彼の「死霊」についての感想とは「死霊」にぞっこんの体で、夢中であるという、いわば読者的信仰告白のことだと諒解した。
そして、未だ読んでいない書物について語ることのできない私は、「自同律の不快」ということだけに限定して、彼を突いた。
私「しかしね。自同律の不快というからには、自同律の葛藤がなければならんでしょ」
彼「え?」
彼は、私に何を言ってるんだ、という目を向けて、訝った。
「つまりね。自同律の不快の前には理性批判がなければならないでしょ? 理性批判で最初の葛藤があるはずなんですよ。自同律の不快というからには、自同律そのものの首根っこをおさえておかなくちゃならんでしょ。
「私たちは、俺は俺だ、と叫ぼうとしたことすらあるんだろうか、と先ず疑ってみる必要がある。最初から自同律の不快が自覚されるとは思われないんですよ私にはどうしても。だから私は「死霊」を読む前に「純粋理性批判」を読んでおかなくちゃ、読んでもあまりに空転してしまうような気がする。「死霊」の自同律の不快という壁に頭をゴツンと叩かれる前に、カントの「純粋理性批判」の壁にガツンと一発、激しいショックを与えてもらわないことには、「死霊」の原理の前提条件がそろわないと思うんですがね」
私に「死霊」を読ませなかったことの理由は、主としてこの理由による。それと、ものぐさと、興味の薄さ。要するに気が向かなかったのであるが。
彼があまりに埴谷雄高賛歌を謳うので、しかえしに私は、郷里の地域の旧領主であった相馬氏の起源と、それに伴って奥州の相馬郡に下ってきた家臣二十二騎のうちのひとつが般若家という名であったことを教示し、埴谷雄高が本名の般若豊という子孫であることなどの智識を披露してみせたのであった。
今も、私の住む町の隣町には、通称般若坂という、恐ろし気な名の坂が残っている。
ところで、純粋理性批判だが、これの方も「埴谷雄高の過去において、必ずカントとの葛藤があったはずだ」という予想は、後になって、年譜的知識から、彼が官憲にktんきょされて獄中で出会ったのがこの本であったと知って、なるほど! と膝を叩いた。
しかしながら、作品からその材料や体験を類推するのは、長年つれそってきた夫婦が、その結びつきを宿命的なものに見立てたり、若者が少女にプロポーズする瞬間、いささかなりとも運命的なものを感ずるのと似ていて、物事は逆の方から見るとすべてが必然の色合いを帯びてくるものだ。
従って、研究家が作家論を展開する時に、どんな場合でも年譜的記述が豊富でありさえすれば作品への流れを説明することが可能であり、それが傍目には成功しているように見える。しかしこれは、成功なのではなくて、説明というものが、いかにもそれらしくことを述べるただそれだけのことをなしうる時にすでに説明の役を果たしているので、必然の色合いを帯びるというのに過ぎない。
実は別な説明が幾通りにも可能だということが看過されている。誰しもA地点からB地点に一本の道が出来れば、別の道を作ろうとか、荒野を横切っても移動が可能だとは思わぬだろう。ありとあらゆることが可能であるにかかわらず一つの道があれば、それを通るのが人間だ。
なぜなら、それは肯定の論理にみちみちているからである。安上がりな結果論だからである。消極的であれ、積極的であれ、肯定の論理は一つの道以外に目を閉じさせる。しかたがなかったのだ、と。あるいはこれでよかったのだ、と。
そうして、その一つの道は、言い換えれば「現実」と呼ばれるところの必然を謂うのであって、あらゆる方向へ発している可能性は、一つの道から人間をはみ出させる悪魔であり、矛盾であり、否定でさえある。
「死霊」のなかで語られる「歴史の幅をよろめき出る」という言葉から、考えさせられるのはこのことだ。
結果論的必然である「現実」と、無数の可能性の必然的世界との、交叉する世界が「死霊」の世界ではないのか。
この歪んだ交叉点において、幽霊たちの声は聞こえてくる。
道は一つだけではないのだよ、と。
そして別な悪魔の声がする。すべての道をきわめようとすれば、それは全否定の道しかない。
著者は自序のなかで、この作品が最初のヴィジョンとして、釈迦と、かような全否定者大雄との対話。これが作品の中心的観念だというのである。
そうであってみれば、読者は、まず死霊の完成を期待し、その後に再び死霊の出来栄えを楽しみたいと考えよ。
未発表原稿 昭和56年11月
日刊浜通日報に掲載のために執筆したまま、経営者との決裂のために、製版段階のままゲラの原稿だけが残ったものを、2016年9月29日、今夜四半世紀ぶりに植字し、アップした。