三月十四日
朝食はおむすびが一つとスプーン一杯ほどのもやしの和え物、苺が四分の一個だった。テレビによれば、ろくに食べ物がない避難所もあると聞く。食べさせてもらえるだけありがたい。この避難所は、断水しているものの電気は届いており、冷え込みの厳しい夜間には暖房もつけてもあえた。
朝食が終わる頃、避難所の受付をやっていた男性の一人が、広間に建って声を上げた。手を叩いて、注目を集める。
男性は、自分を律しているハキハキした声で、近くの○○小学校がこの町の遺体安置所になり、震災後に見つかったご遺体を収容していること、現在身元が分かっているご遺体の名前と、桃科分からないご遺体については身体的な特徴を書き出したリストを、広間の入り口に貼っておくことを告げた。リストには五十人ほどのご遺体の情報が並んでいた。はじめの五人ほどには名前や住所が書かれているが、残りはもはや「男性」「女性」「赤い服」「幼児」「○○海岸で○○消防団が発見」「○○学校の校庭で発見」など、まったく個人を識別できない情報ばかりだった。
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