すぐそこにある彼方の町
震災後、関東に帰りついた私は日々重苦しい自責の念に囚われることとなった。あんなに親切にして貰った人たちを置いてきてしまった、という罪悪感だ。自分だけ安全圏に逃げた、という後ろめたさもある。理性では、あそこに残っていてなにもできない、そばにいる人の負担になるだけだ、と分かっている。けれど憂鬱は崩れず、罪悪感を払拭するように震災にまつわるルポを書き、募金のために仕事に打ち込んだ。
ひと月経ち、ふた月経つにつれて、今度はだんだん自分の意識が被災地から遠ざかっていく恐ろしさを感じるようになった。まるで薄膜のむこうの出来事のように、ニュースや新聞でいくら被災地の情報を目にしても「大変そう」と表面的に思うばかりで」、感情が伴わなくなって来たのだ。
彩瀬は当初の東北旅行の目的先だった「いわき」に、あらためて行こうと思った。六月、原発事故から二十七キロの久ノ浜でボランテイアで働いた。
放射能という意識が濃厚だった。彩瀬まるは防護マスクをしていた。友人との会話でも、話題に放射能への心配がたえずあった。
第二章のタイトルに「すぐそこにある彼方の町」と名付けた。
友人のミツコさんは働いている。
出勤するミツコさんの車を見送る。次は友人の故郷の辛い部分ではなく、明るく輝かしい、自慢の部分を見に来よう。そんな風に決めて、私は東京駅へ向かう高速バスに乗った。行きと同じくたった参事官で、バスはまったく異なる意識を持つ二つの町町を繋いだ。その距離の短さがかえって少し、かなしかった。
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