南相馬市民の歌 歌詞の構造と改変事情

一日の朝昼夕の定時に「南相馬市民の歌」のメロデイが、南相馬市民の家庭にFM放送で流れます。復興につとめるすべての市民を励まし、一日の労を労ってくれています。「ふるさとはいつもあなたとともにある」といった憩いと安らぎのメッセージでしょうか。
平成18年に平成の大合併によって政府主導の新自治体が誕生しました。これに伴って、鹿島町・原町市・小高町の一市二町の市民の融和を願って新市歌が募集され、原町区二見町在住で小高町福浦・鳩原などで小学校教師だった佐藤邦雄さんを訪ねて直接、作詞の真情を伺いました。
いまの二本松市に合併されましたが佐藤先生は岩代町生まれ。福島師範と呼ばれた県下の教員養成所である戦後の福島大学教育学部を卒業して小学校教員をされた人物です。飯舘村や南相馬市域、辺地扱いの川内村など相馬双葉地方に長く勤務され縁の深い方です。国語の授業研究では、退職後も若い先生方の勉強会を続けておられた。新市歌の作詞家としては、最適な好人材でした。

作 詞 佐藤 邦雄
補作詞 市民歌制定委員会
作曲 大島 ミチル 

1 山並み遠く 雲が流れ
風さわやかに 野を渡る
ここはふるさと 野馬追の里
雲雀が原に 馬駆ける
南相馬市 ここに生まれ
心晴れ晴れ 未来に広がる

2 朝霧晴れて 陽は昇る
太平の海 洋々と
ここはふるさと 万葉の里
古代の夢が よみがえる
南相馬市 ここに生きる
光を浴びて 日々新しく

3 歌声高く 湧くところ
笑顔あふれて 花ひらく
ここはふるさと 紅梅の里
はじける火花 空に咲く
南相馬市 ここに生きて
明るい朝を 共に迎える

もともと合併は内在的な欲求からというよりは少子高齢化を見越した政府が、地方議員の整理など地方自治体の行政の効率化を目的に、合併の期限付きの市債が認められたため駆け込みで従来型の箱もの建設の需要が高まる弊害もあったほどです。
高齢化する老人介護施設を厚生省のゴールドプランで国が建設し、その運営を市部に集約した自治体に担ってもらおうとの目論見でした。
福島県浜通り地方はいわき市、南相馬市(かつては原町市)、相馬市の3市だけで、双葉郡には市がありません。地方のけん引力の弱さで県の負担を大企業の東京電力に肩代わりしてもらったのが原発火発の電源開発という浜通り地方のグランドデザイン構造でした。
首都圏に電気を送り、電源三法交付金という税金還流で「カネ」の血流循環によって地方末端の活性化を図って来たのでした。
その結果は御存じでしょう。
一番には山のイメージ、原町、祭り。
二番には海のイメージ、鹿島、万葉の里。
三番には里のイメージ、小高、紅梅の里。
ふるさと小天地の特徴をまとめあげました。
ところで、補作詞 市民歌制定委員会という奇妙な但し書きがあります。
通常の校歌や町民歌、市民歌にはない但し書きです。じつはこの作詞は佐藤氏のオリジナルの歌詞には、内在的な市民みずからが作りあげて行く市民感情というものを田伊勢tにしてゆきたい、と言って、南相馬市という新しい行政官庁名前を敢えて入れないという佐藤さんのポリシーがあったのでしたが、スポンサーの市役所スタッフが、どうしても市の名を入れたいというのが、この補作の実態でした。
それにしても補作○○委員会というのは、奇妙な添え書きだなと市民からの声もありました。
 ともあれ新市の市民歌は大島ミチルというプロの作曲家に依頼して出来ました。
 この新市歌の募集から選定までの経過を眺めておりますと、昭和29年に原町市が誕生したときに、原町市民歌が募集された時代を思い起こします。
一般公募の歌詞には東京の人の作品が当選し、作曲は地元で名高い天野秀延氏に依頼して、美しいみごとな歌曲ができあがりました。
 私が小学生5年生ぐらいの子供の日に、父親がバイクの荷台に息子のわたしを乗せて石神大谷発電所の上流の蛇穴という鍾乳洞のある渓谷に連れて行ってくれました。
 そこでたまたま従兄の二上裕嗣氏が青年男女の合唱団だったのでしょう。この新しい原町市民歌を、清冽な渓流の岩の上で合唱している光景に出合って、青年たちの姿が何とまぶしく見えたことでしょう。
新しい市、新しい歌には、そういう新鮮な空気がみちみちています。

 一方で、学校閉鎖とか閉校という現象があります。
 小高工業高校と、小高商業高校が閉校し、新たに産業技術高校に改編統合されることになりました。
http://mainichi.jp/articles/20160528/ddl/k07/100/048000c
 県は来年4月の開校に向けて、新校舎の整備を進める。
 両校は、原発事故後、同市原町区の仮設校舎に移転している。来年4月に、小高区内の小高工校舎を改修した新校舎で、新校のスタートを切る計画だ。
 県教委によると、少子化に伴う生徒数の減少に対応するため2006年から統合の検討を始め、15年1月に正式決定した。校名は在校生や保護者らから募った128案の中から県教委が選んだ。
 県は、浜通り地区を廃炉の研究拠点や未来型産業の集積によって復興させる「イノベーション・コースト構想」を担う人材を養成するため、今年度から小高工に、再生可能エネルギーやロボットなどについて学ぶ「産業革新科」を設置した。
 統合後は、コンピューターや経済などについて学ぶ商業系のコースも追加する方針。【毎日新聞】
 新しい学校の誕生が、祝福されるべきだとは思いますが、その理由と経過を知っております者には、絶滅危惧種の双葉地方の学校と校歌の運命を思って複雑です。

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