生き残った島尾は、すでに、死と対面しながらの日常にいるのではない。
島尾は生き残り、(それはあたかも状況の激変ないしは一大転換によって、間違いであると感じてしまうような種類の意識なのであるが)戦時下の恋人であった女性と結婚し、それは島尾自身が語るとおりに「一つの成就のはず」であったのだ。
「島の果て」「出発は遂に訪れず」ではトエと呼ばれ、「出孤島記」ではNと呼ばれ、「廃址」でケサナと呼ばれる主人公の恋人はまごうことなく現島尾夫人のミホさんである。
戦争が終わって、島尾敏雄は翌年三月に夫人と結婚した。戦争と戦争体験と、その舞台となった加計呂麻島、そして彼の青春、それらすべてを象徴的に負っているミホさんを、生涯の伴侶とした意識の底には、島尾敏雄が戦争体験を自己の文学の文学的な宿命としてとらえようとする姿勢であるというふうな意味のことを吉本隆明が指摘している。(全著作集9作家論Ⅲ)
また「島の果て」を「ただこの牧歌は、まかれたホウタイのように、純白ではあるが傷をかくしている。」という指摘や、「この恋愛はたんに、かれの戦争小説のべつのモチーフのひとつであり、また欠くことのできない構成の要素である以上に、戦後の夫人との結婚生活の波動が、戦争体験の造形にあたって微妙に作用しているという意味でも看過することができない。父親の庇護下に神戸で世帯をかまえた未婚の時代、東京在住時代、夫人の故郷である奄美へ帰郷した時代というふうに、戦争小説が生活の転換によって微妙に揺れうごき、成熟してゆくさまを想定することができるほどである」という指摘は目覚ましい。
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