動物たちのふくしま
警戒地区の家畜
家畜小屋に足を踏み入れると、腐敗臭や糞尿の臭いが鼻を突いた。身元ではハエの音が鳴りやまない。何百頭もの豚が折り重なり脚を曲げて横たわっている。皮膚の一部がはげ、赤黒い骨がむき出しになっていた。口の回りには緑色に干からびた嘔吐物がこにりつき、目や肛門、皮膚の裂け目から無数のウジがわき出ているのが見えた。思わず吐き気を催しぐっとこらえた。
共同通信の平野雄吾は6月1日に福島支局に転勤してきたばかりだった。
日本獣医師会や動物愛護団体などが福島第一原発から20キロ圏内の警戒区域残された動物の現状を調べるために「福島生物資源放射能調査団」を結成、その産業動物班に同行し2011年6月25日、警戒区域に入った。
政府は5月12日、人の立ち入れない圏内の家畜の取り扱いについて、所有者の同意を得た上で、苦痛を与えない「安楽死」で全頭殺処分するよう、福島県に指示した。法的効力はないが、処分方法は筋弛緩剤などで死なせた後、消石灰をまきブルーシートで覆うこととした。
希望の牧場と「原発一揆」(JAF Mate)
東日本大震災の翌日、福島第一原発1号機の建屋が爆発し、避難指示の範囲がそれまでの原発3km圏内から20km圏内に拡大した。その後も、原発の建屋が次々と爆発。騒然とするなかで、住民は取るものも取りあえず避難を急ぐしかなく、すぐに町は無人となった。
エム牧場浪江農場は、原発から14kmの距離にある。その農場長であった吉沢正巳さんは、ホームセンターで買い物中に被災した。渋滞を避けながらなんとか牧場に帰りつくが、施設の一部は潰れ、牧草地は地割れを起こしていたという。それでも停電の中、発電器を回して牛に水を飲ませた。そして、カーナビのテレビからの情報で、福島第一原発の様子が変だということを知る。吉沢さんの牧場からは、遠くに原発の排気塔が見える。
「それでも牛を残して逃げる気はまったくなかったね。実際、逃げ出すほど怖いとは感じなかった。原発の中での作業はまさに決死隊だっただろうけど、ここなら影響はあっても、すぐに死ぬことはないなと思ってた」と吉沢さんは言う。建屋が爆発し、牧場に緊急の通信施設を置いた警察が避難した後も、吉沢さんは牧場に残り牛の面倒を見続けた。
<原発事故>埋めた家畜10万ようやく処理へ
家畜が埋められた場所を確認する環境省の職員ら=福島県富岡町本岡
河北新報
環境省と福島県は本年度内にも、東京電力福島第1原発事故後に殺処分して埋められた家畜の処理に着手する。住民避難に伴って埋却された場所は計約110カ所に上る。避難指示解除を控える地元自治体や農家が求めていた早期掘り起こしに、ようやく対応する形だ。
環境省などによると、処理するのは、双葉郡など第1原発半径20キロ圏の旧警戒区域内に埋められた牛約2900頭、豚約1万6000頭、鶏約8万羽。
いずれも原発事故後、筋弛緩(しかん)剤で安楽死させたり餓死するなどした家畜で、応急措置として牧草地や水田の地中1~2メートルに埋却された。避難のため畜産農家が置き去りにせざるを得なくなり、政府が2011年5月、殺処分を県に指示していた。
計画では、重機で掘り起こして土のう袋などに入れ、臭気と水分対策としておがくずを混ぜて運搬。各地域の仮設焼却施設で処理する。
関係自治体のうち、富岡町は17年4月の住民帰還開始を目指す。このため環境省は16年度中の焼却処理を目指す。それ以外も地権者や自治体と調整を進めており、同意が得られれば早急に着手する。
環境省と県は16年10月、処理方針を決定。11月末には富岡町の地権者向け説明会を開き、現地確認をした。参加した同町本岡の横田貢一さん(52)の牧草地には25頭の牛が埋められた。
横田さんは「家族同然の愛情を注いでいたのに、突然殺処分された。慰霊碑が建てられ、幾分気持ちは落ち着いたが営農再開へ踏み出すためにも早く処理してもらいたい」と話す。
国の対応の遅れに、不満を募らせる畜産農家も。同町の町政懇談会では「イノシシの被害を受けてあちこちに牛の骨が散らばり、あまりに無残だ。泣く泣く殺処分した農家の気持ちを分かっていない」などと国を批判する声が出た。
これまで処理に着手できなかった理由について、環境省の担当者は「国と県で課題整理や役割分担の協議をしていて遅くなってしまった」と説明している。