ふっこうステーション 2015年度
事業の背景と目的
南相馬市小高区出身の半谷清寿が常磐線の誘致に大きく貢献し、明治31年(1898年)に南相馬市内の常磐線(旧 磐城線)各駅 小高・磐城太田(旧 高)・原ノ町・鹿島駅が開業した。このことにより、近世までに形成された南相馬市域の町や農村地域に大きな変化がもたらされた。桜や菜の花などが咲く 平成28年(2016年)の春は、これらの駅の開業118年目にあたる。
常磐線を走る列車は開通当初の蒸気機関車から時代を経て電化になり優等列車も登場した。これにより、暮らしに変化を与えると共に、車窓や列車が走る風景を通じ、沿線住人や常磐線を使った人々に沢山の思い出を残したことだろう。
しかし、平成23年(2011年)3月の東日本大震災以降、福島第一原子力発電所から20km圏内の常磐線 原ノ町~桃内駅は不通になり、改めて常磐線の価値を再認識することになった。そうしたなか、平成28年(2016年)4月には常磐線 原ノ町駅~小高駅区間、平成29年(2017年)春には、小高駅~桃内駅~浪江駅の開通が予定されている。
そこで、20km圏内の帰還者支援に向け、常磐線を誘致した当初の想いや、駅を中心とした常磐線にまつわる地域の歴史(産業・町の成り立ち・暮らし・文化・人物 等)や鉄道と関連施設の歴史を振り返り、常磐線の思い出や鉄道遺産(鉄道関連の近代化遺産、震災の記憶を未来に伝える震災遺構)への想いを楽しく語りあう場の提供を行い、より多くの人に参加を呼びかけコミュニティの再生を図ることを目的とする。
プロローグ
3.11震災の東北大津波で被災したJR常磐線の相馬と浜吉田の区間が2016年末までに再開通させる方針が正式に決定し、12月ダイヤ改正に合わせて営業運転が再開する見通しとなった。この区間では津波対策として新地と坂本・山下の3駅を内陸に移し、長さは約22.6キロから23.2キロに延びる。移設区間の約4割強は高架式になる。
これに先立ち、今春には原ノ町と小高も再開する。現在は原発事故後に強制的に退避命令が出された20キロ圏内への帰還者を戻す国策が具体的に目に見えてマスコミにあらわれ、これに付随するトピックが集中的に報道されている。
こうした状況は、まさに120年前に常磐線が開通された明治の国家デザインの実現期を追体験するもので、東北建設につくした先人の努力をしのぶ好機でもある。