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番組スタッフから

元に戻るのは100年後…歴史が唐突に断ち切られた場所 ~「赤宇木(あこうぎ)」

2011年3月17日、私と相棒 七沢潔は第一原発から30キロ圏内の実情を知りたくて国道114号線を北上していた。30キロ圏内の道沿いの家々に人の気配は無かった。ようやく会えたのは、心臓が悪くて避難に踏み切れないでいた天野さんという人だった。話を聞いた帰り際、その天野さんが「アコウギの集会所には避難民がまだいっぱいいるよ」と教えてくれた。アコウギという不思議な地名を聞いた最初だった。アコウギが赤宇木であることも知らなかった。集会所に行ってみると10数人の人々が肩を寄せあうように自活していた。線量を計ると毎時80マイクロシーベルトあった。

それから2年。福島で増え続ける自殺について取材をしていた。その中で割腹自殺を遂げた今野富夫さんを知った。赤宇木の人だった。さらに1年。阿武隈高地の動物への放射能の影響について調査を続ける科学者たちを追っていた。彼らのフィールドの重要な場所の一つが赤宇木だった。赤宇木は私にとって特別な場所になりつつあった。

これまでは、赤宇木は取材のフィールドだったが、今回は、赤宇木そのものが取材対象である。赤宇木が元の土地に戻るのは100年後とも150年後とも言われる。赤宇木の歴史は唐突に断ち切られたのだ。それはいったいどういうことなのか。まるで原発事故などなかったかのような言葉がまかり通る5年目に問いかけたいと思う。
(番組ディレクター 大森淳郎)
番組内容

福島県浪江町の小さな集落・赤宇木(あこうぎ)は、原発事故の後、毎日の新聞に最も放射線量が高い場所として掲載されるようになった。現在は「帰還困難区域」に指定され、土地が元に戻るのは100年以上先とも言われている。その赤宇木で、村の歴史の掘り起こしが住民たちの手で始まっている。原発事故で断ち切られた赤宇木の歴史。明治・大正・昭和と激動の時代を生き、原発事故で大きな曲がり角に立つ村の姿を見つめる。
2016年3月13日(日) 午後2時00分(120分)

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