放射能を背負って 朝日新聞出版
にげさせt栄太。

 買ったまま読まれずに書斎の片隅で、ずっと置かれていた書籍が何冊もある。
南相馬市長桜井勝延の講演を初めて聞いたのは、福島市の中心街の公共施設であった。すでに公的な報道で、テレビでは見ていたが、この日印象的だったのは、彼が胸の中に抑えていた鬱憤を、本音として漏らした気持ちであった。
原発が爆発した翌朝に、マスコミ、警察、自衛隊があれほどあふれていたのに、一人もいなくなっていた。
彼らは、全員が逃げた。被災地に何の情報も知らせずに。SPEEDI情報は国民に隠されながら、米軍はこの情報を入手して、原発から80㎞以遠に米国人をにげさせていた。

 このマスコミに出てこなかった南相馬市の細部のできごとは、桜井の「本音」として県都で語られた。
しかし、ここに集まったのは、大学関係のインテリたちや、わざわざ東京から、この機会に南相馬市長の発言を聴くためにやってきた人々で、福島市民一般が聞いたということでもない。

 その後、わたしは東日本震災の詳細を、ひとつひとつ辿ってゆくにしても、自分がみてきた情景と、全体像を、どのように関連づけたらよいのか、いまだにつかみきれていない。
 たとえば、本書の冒頭に登場する高村美晴という南相馬のシングルマザーの体験は、じつはここの本の中で初めて出会った。
すでに震災評論家のような立場で、全国に招かれて「被災地」報告のような講演を活動していた。
 
自分の町のことを、書店の店頭に平積みになった震災本を買ってきて初めて知ったことばかりある。
しかしながら、マスコミの表面に出て来る書籍よりも、たとえば老人医療現場を克明にたどった「被災弱者」のような、細部のレポートのほうが、わたしには感銘を受けた。
原発本はいろいろ読んできた。
南相馬および福島県の浜通り全体の細部にわたっての歴史に残すべき記述は、どうしたら掴めるのか。いまだに困難さをおぼえたままだ。

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