この一年あまりをふりかえって
原発「誘致」の問題をめぐって
前掲「大熊町史」第一巻の私の執筆部分に対する問い合わせの過程で、私が本来なら退去すべきは原発であるのに、危険区域に指定された原発周辺の地域住民が国家権力によって待避を強制される不条理を述べたとき、あるマスコミ関係者が、あとで不用意であったと釈明はしたが、「しかし、原発は地元が誘致したからきたのでしょう」と発言したことは、きわめて腹立たしいことであった。たしかに日本原子力産業会議が作成した例の「報告書」が述べているように「特に県、町の当事者などの希望が大きかった」ことは事実である。しかし、それは「当事者」がそのようにしなければならない状況に追い込まれての「希望」であったことへの目配りが欠如している発言であったからである。このマスコミ人には「部落組織も、第二時世界大戦以前に旧来のものを細分化し、行政の下部組織として改組」されていたものを自家薬籠中のものとして、地元の誘致機運を醸成したものであることへの理解などまったく見られないのである。「行政の下部組織としての改組」された「部落組織」など、皇国農村体制のもとで創出された上意下達の組織としての隣組や、そのうに置かれた部落常会と何ら変わらない。少なくとも労働組織・生産組織としての共同体ではないのである。
(中略)
さらに、旧村の精神的基盤であった神社もまた神社合祀という形で本来の住民の手から離れ、国家神道の末端に組み込まれることになってしまったのである。
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