フクシマ・ノート#4 
相馬双葉の地下からの文明論メッセージ
 縄文時代の製鉄炉・武器庫がいま廃炉原発基地
         南相馬市歴史専門調査員 二上英朗

 3月1日福島民友        3月2日福島民報

●常磐自動車道の全通
三月一日、福島県浜通り地区の未開通区間が突貫工事でつながり、常磐自動車道が全通した。
二月末日、英国の王位後継者第二位のウイリアム王子が来日し、これを案内する形で安倍総理が同伴し王子は岩手県石巻市の津波被災地を激励訪問し、総理は常磐自動車道の開通式に参列し、津波と原発事故被災で全町民が強制避難させられた小高区住民の子弟を中心に通学している小高工業高校の卒業式に臨席したため、地元新聞はこれをこぞって報道した。
 チェルノブイリの放射能廃炉心を縦貫するが如き焦眉の原発事故災害直下の福島県に、英国王子と総理の取り合わせはニュースバリューとしては第一級の記事だったが、今回わたしの視点はそのことではない。
 ●古代史をなぞる文明論的ポイント
  地元の南相馬市鹿島区の仮設住宅が犇めく西の鹿島SCの設けられた浮田という地名は、相馬地方の最古の権力が発祥したポイントである(注1)。また隣接する、小池寺内地区は朝鮮直系の継体天皇系とおぼしき国宝金銅双魚佩というヤマト政権の下賜たるシンボルが出土した場所であり、南相馬は古墳時代も最先端の官衙だった。(注2)
 万葉集に歌われた東北の代表的な軍事拠点の最高司令官たる人物への恋歌;
 みちのくの真野の萱原(かやはら)とおけども面影にしして見ゆといふものを(笠女郎=かさのいらつめ)
 という歌は、都の宮廷女官が北辺の最前線基地である多賀城の長官大伴家持を想って歌った歌なのである。(注3)

 ●埋蔵文化財からみる福島浜通り地方
新春一月十日、福島県文化センターで開催された「ふくしまの復興」と題する埋蔵文化財の発掘調査成果を展示、報告する企画を見て聞いて、浜通り地方の壮大な歴史について考えさせられた。
 東征北上して蝦夷討伐で日本統一の「鉄器」による軍事的覇権経営モデルは、やがてはチェルノブイリの石棺と同じ廃墟になってしまうのだろう。新春の県主催の埋蔵文化財発掘調査報告会で連想されたのは、過去現在未来まで同じ国家支配と被征服の歴史に埋もれた相馬双葉の地下からの文明論的イメージとメッセージだった。
 南相馬市には製鉄の痕跡が集中し、古代の製鉄遺跡が特徴的だ。
 相馬地方は古代ヤマト政権の最前線多賀城に武器を供給し続ける東北攻略の拠点であった。
 一千年の時空を超えて原発廃炉時代の未来まで至って、文明の栄光と歴史の蔭に秘められた被征服から被曝までの歴史を象徴する現場なのである。
 ●全国から助っ人学芸員の混成部隊で
 全国から応援の学芸員が共同で働き「大阪市では博物館を潰す市長がいるのに、福島県は最先端の研究ができてうらやましい」などのコメントも飛び出した。
 311地震津波と原発事故の復興がテーマであるのは、産業経済医療教育だけでなく、共同体が滅亡するか存続するかの瀬戸際の文化的命題でもある。
 いわき相馬間の常磐自動車道路の開通と、相馬福島間の東北縦貫自動車の建設で、多くの縄文遺跡が次々に発掘調査されて、新しい知見知識が増し加えられている。
 県北端に位置する相馬郡新地町には、新田遺跡、沢入B遺跡、大清水遺跡、南狼沢A遺跡、南狼沢B遺跡、赤柴遺跡などがあり、相馬市には猪倉B、東羽黒平、尾木平、向山の各遺跡がある。
 南相馬市では、長瀞遺跡をはじめとする製鉄施設跡の遺跡が集中し、天化沢A,大迫、東町、横大道遺跡などがある。いずれも火力発電所の建設にともなう土地造成や、土砂の採掘で発掘された一群の画期的な古代の製鉄遺跡だ。
 双葉郡地方にも、浪江町に田子平、後田、中平の遺跡。
 大熊町には上平A遺跡。
 富岡町には前山A遺跡。
 楢葉町には大谷上ノ原、小山B、馬場前、鍛冶屋などの遺跡がある。
 広野町には桜田ⅳ遺跡。南隣のいわき市には大猿田遺跡がある。
 ●泥縄道路建設と、埋蔵文化財との関係
 これらは、連日報道される常磐自動車道と東北自動車道に寄り添うように存在し、道路工事によって縄文時代から忽然と現代に出現したものなのだ。
 政治的な喫緊の至上命題なのは原発事故の処理復旧であるが、住民が避難してバラバラになり、残してきた地所家屋のほかにも共有財産としてのシンボル的な双葉地方の文化財もまた立ち入り禁止地区の放射能下で存続の危機に面しており、県立の「まほろん」福島県文化財センターの新収蔵庫に救援されて引っ越し疎開している。
 後世へうけつぐ伝統文化の、祭礼の写真や民俗舞踊の衣装や、域内の石器や土器などが一堂に会して県民に紹介される、またとない機会になった。
 報告会では福島県文化財振興財団理事長あいさつの後、轡田克史(文化財課文化財副主査)が「震災復興事業に係わる文化財保護の取組」と題して基調報告をし、ついで香川慎一白河館副主幹が「被災資料の管理・整理状況について」概略を説明。
 笠井崇吉遺跡調査部文化財主査が「常磐道遺跡発掘調査」として新地町での調査を報告。小暮伸之遺跡調査部専門学芸員が「相馬福島道路発掘調査」での東羽黒・向山の両遺跡を中心として、スライドを映写しながら最新の発見を紹介。
 山形県から出向中の天本昌希氏が「福島県の発掘調査に参加して」県外からの視点で「製鉄施設の遺跡が山形にはないので、福島での体験は魅力的だった」と感想を漏らしていた。
 県内の行政がパンク状態で、全国から派遣応援の有能な吏員が復旧復興に活躍しているように、実は文化財調査と研究でも多くの専門学芸員が選抜動員されて、地元県内の同僚として共同作業してきた。
 その自画自賛する成果を報告するという講演と展示のイベントであった。
 ●皮肉な西高東低の征服史の最前線の現場
 山形、東京、大阪などから応援に来た学芸員が次々に「福島県の文化財調査と研究は、体制も備品も最先端でうらやましいほど」と、ほめそやすコメントが出て、会場を埋めた考古学ファンには大変耳障りの良い印象であった。
 東京都スポーツ文化事業団の飯塚武司氏、大阪市博物館協会・難波宮調査事務所長などからのコメントも出た。「大阪市長が博物館を減らすというとんでもない市長で」と軽口が出ると、会場から同意の失笑が漏れて、終始なごやかな報告会だった。
 福島県の自然や、料理に触れた感動を語る人もいたが、総じて仕事が終っての打ち上げで語られるリップ・サービスのようにも聞えた。
 たしかに、個々の有能なる地域の学芸員にふさわしい短くも印象的な「外部から見た」福島県への過分の評価なのは、仕事を通じて築き上げた人間関係への配慮でもあったろう。しかも、対象は素人さんであるから、わかりやすい啓蒙的な解説と、県民感情への配慮だったのは聞いていて伝わってきた。
  皮肉なのは、むら社会での人間存在の営みから、国家経営のシステムに組み込まれた地域の、文明の栄光と、その蔭に秘められた征服の歴史を象徴する現場であったという点にある。
 ●ヤマト政権の北上東征なぞる常磐道
 2011年の福島第一原発基地こそは、まさに現代の国家戦略の核時代の最初の最前線であり、エネルギーと食糧と安価な労働力とともに供給し続けながら、生存の必須の条件である要件の「情報」において皆無という実情が、この相馬地方の最大の悲劇でなくて何であろうか。
 「良かった良かった万々歳」で、締めくくられた報告会のあと、県文化センター3階での展示会を見た。
 続いて記念講演では、青柳正規文化庁長官の「火山災害からの復興 ヴェスビオス山の場合」が語られ、つづいて福島県文化財センター白河館(まほろん)館長との対談が行われ、華やかなショーは閉幕した。
 わが故郷の文化財が主役として飾られた企画展示会を見て、報告と講演を聴いてふと思った。
 福島第一原発事故の災害のデメリットの、文明論的な意味づけ、というテーマのシンポジウムでもよかっただろうに、過激な反原発の意見が出ては官製のイベントは困るのだろうな、とも。
 自分なりに総括すれば、「けっきょく一千有余年前から、古墳時代の豪族支配を経て、国の発生と隆盛の過程を辿って、関西から東征北上して蝦夷討伐で日本統一の「鉄器」による軍事的覇権経営モデルのシンボルが原町火力発電所内で発掘されて、日本一の当時の製鉄施設群であることが証明され、いまでは南相馬市博物館のメイン展示物となっている製鉄炉の現物と同じスケールのレプリカの質量感が脳裡に浮びつつ、その後背地である双葉地方に無残な残骸の第一原発の施設群がダブルイメージになって、やがてはチェルノブイリの石棺と同じ施設が決死の建設部隊によって何度も数十年おきに覆われてゆく百年後のクレーンの姿まで重なってゆく。
 ダークツーリズムの現場として地球上の地獄の墓場、核廃棄物の最終処分の地となっているビジョンを想って、散らされた住民の何世代目の子孫が帰還して墓参できる時期が来るのだろうかと、切ない連想をしたのである。

●周回遅れランナーの勘違い
  オリンピックで満場のスタンドから注視のなか一万メートル競技を想像してほしい。周回遅れのランナーが、時としてトップランナーの直前を先導するイメージに見える瞬間がある。
 あるいは、出場選手がすべてゴールした後で、疲労困憊して遅れに遅れたラストランナーが一人だけトラックを走って、思いがけぬ満座の拍手を集めることがある。
 福島県の大学進学率は長らく全国最下位かブービー賞を競う最有力候補だった。あるいは乳幼児の死亡率の高さなどを地味に論評して読者を刺激する仕事を生業にしてきた。
 政治経済から教育文化、社会面的事件やら歴史読み物まで雑誌の遊軍を担当したほか、生まれ故郷が南相馬市なので至近距離(20~30キロ)の地点の福島第一原発、第二原発の立地する双葉郡の地域振興と原発政策の分野も論評担当した。福島県政の財政問題として身近な視点から検証し憂鬱な社会的記事にしてきた。十年前のことである。
 その結論がいきなり311になって出た。結果、国家的惨事で12万人の国内難民がいまだに郷里の家に帰れずにいる。
 福島県には自然史博物館も災害記念館も皆無だ。
 311のモニュメントと記念博物館の建設が五年目の課題であると思う。

注1●線刻絵画土器が出土 八幡林遺跡 古墳時代は東北初
 南相馬市教委が平成25年11月に実施した八幡林遺跡(同市鹿島区)の調査で、ヘラ状の工具を使って船を描いた古墳時代前期(4世紀ごろ)の線刻絵画土器が出土した。同市教委によると、弥生時代から古墳時代の線刻絵画土器が東北で出土するのは初めてという。17日から同市原町区の市博物館で展示している。
 見つかったのは甕形土器の破片で、大きさは縦約7センチ、横約12センチ、厚さ約7ミリ。船とみられる絵画が工具で描かれている。同市教委は「今回の出土により、土器に絵画を描く文化が古墳時代前期までに東北地方にも伝わったことが実証された」としている。
 埋蔵文化財展示は3月22日まで。問い合わせは南相馬市博物館 電話0244(23)6421へ。
(2015/01/18 )●南相馬市博物館収蔵展
http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/24,22258,137,html
 注2●真野古墳群(まのこふんぐん)は、福島県南相馬市鹿島区寺内・小池に所在する前方後円墳と多数の小円墳で構成される大規模古墳群である。別称としては、真野古墳群A地区(八幡林・大谷地古墳群)と真野古墳群B地区(小池原古墳群)とがある。1979年(昭和54年)10月24日に国の史跡に指定された。
内部主体は礫槨、変形竪穴式石室、箱式石棺、横穴式石室である。49号墳の礫槨内から斧、鎌、槽などの優れた石製模造品が出土している。20号墳のくびれ部に横穴式石室を模して造られたと推測される礫槨から直刀、鉄剣、馬具のほか金銅装双魚佩が一双出土している。
「福島県真野寺内20号墳に関する考察–金銅双魚佩出土古墳の性格について」(穴沢 和光,中村 五郎)

注3 笠女郎の万葉集の歌
http://www.minyunet.com/tourist/fukei/fukei2.html

(初出:『ゲンロン観光地化メルマガ #31』2015年4月6日号)

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