十一月二十六日
 南相馬市へ向かう高速バスへ乗り込む。美しい茜色に染まった秋の山を横目に、さらに二時間かけて内陸部へ向かった。
 
 ここで降りて、と先に伝えられていたバス停で下車する。携帯に連絡を入れると、ショウコさんがバス停まで迎えに来てくれた。Tさんを紹介して、三人で連れ立ってご実家へ向かった。
 八ヶ月ぶりのおたくは、ホウン等になつかしかった。真っ暗で心細かった新地町の中学校、原発騒ぎで気が狂いそうだった避難所など、恐怖の嵐に似た震災の風景の中で、このお宅だけは唯一、安らげる場所として記憶に残っていた。

 ヨシコさんgぽつぽつと続けた。 
 「かといってこの地域には、やれ誰々のとこの息子は原発勤めだ、あそこの親戚も下請けだ、うちもだって具合に、いわゆる原発関連で仕事をしてきた人間はたくさんいるんだ。とこの家庭だって、親類をたぐれば1人ぐらいはいるんじゃないか。事故のあと復旧作業にかかりきりで、息子が三月から一度も帰ってこないって家もある。今、働き手を集めて原発に送る仕事をしてる人だって近所にいる」

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