9. 昭和が死んだ日に映画館は生きていた

昭和の終わりの日、テレビが死んだ日に、映画館は生きていた。
昭和天皇が薨去したとき、日本のテレビはNHK教育放送を除いて、すべての局が天皇死亡の特別番組を映し出し、娯楽、歌舞音曲はすべて自粛。これらは戦前のマスコミ規制時代と同様の扱いで、現代日本に中世古代の神懸り的な社会を突然出現させた。
2月の大葬の礼では、首都圏の交通はストップ。ゼネスト以上の戒厳令的な状況であった。国民の全部がこれに平れ伏して、延々と流される天皇ニュースの下で、異質な情報や娯楽に対するアンテナをひっこめていたのかと言えば、そうでもなかった。
不謹慎ではないが健全な精神をもった庶民の一部は、実は、作られた情報と管理されたテレビ画像に飽いていた。全国の映画館に「やっているのか」という問い合わせが相次いだのだ。国家が決めた突然の休日に、彼らはぞろぞろとビデオ店に繰り出していた。映画館を一度は見捨てたはずの日本国民は、テレビも新聞も、この国のメディアが自分たちの側にあるのではないと考え、「時代遅れのもうひとつのメディア」の存在を思い出したのだ。それは、映画館。すでに国家は、国民に対する映像の影響力の場として、悲しいことながら映画館を「規制するほどのメディア」には考えていないという実証でもあった。
しかし国民には、映像に対する飢餓感はあった、というべきか。

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