朝日座での音楽会

 川崎市在住の野村敏子さんは手記の中でこう記している。
〔朝日座といえば、疎開中に朝日座で音楽コンクールがありました。原町にも音楽好きの人達がいらっしゃいまして、よく母を中心に私の家で音を合わせましたものでした。
母はギターも弾き、勿論ピアノ、バイオリンなど習ってはいないのですが、何でも弾ける現代人でした。そんな中から母は審査員に選ばれました。軽音楽、歌曲、其の他アトラクション、私は歌曲の部で「ふけゆく秋の夜旅の空の」と、ソプラノで歌いまくり一等優勝でした。軽音楽の中に一人素敵な好青年がいらっしゃいました。バスーンを吹く人です。その音色は格別でした。その仲間達と、声が掛かればアチコチと歌い歩いた事がありました。
その音楽愛好者の仲間はどうしていらっしゃる事か。〕(平成4年あぶくま新報)
バスーンを弾く人、というのは常磐正志氏であろう。
木幡豊氏の回想にも登場する。
〔当時、原町に海軍軍楽隊出身のバスーン(木管楽器)演奏会、常磐正志さんがいて、NHK専属のため仙台に通っていた。「祖国を興すもの」の劇中歌を同僚の屋代先生が作詞してくれたので、早速、常磐さんに作曲を依頼した。なかなか承諾しなかったが、作品を届けていだだいた。よく劇の主題に合致したメロディーで、一時、中学校に流行し、今でも歌われる人がいるという。〕
〔なお、原町一中の校歌「山脈遠く・・・」は常磐さんのお骨折りでNHK佐藤長助氏作曲となり、昭和二十四年朝日座で発表された。〕

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