原町市良い映画を見る会

 昭和30年代に吹き荒れた太陽族映画ブームに対して、地方から健全映画の推奨と自主的な映画鑑賞教育の運動が巻き起こった。「こころの山脈」の自主制作でも名を挙げた。福島県本宮町の母親たちが立ちあがった本宮方式がそれである。本宮にならおう、という機運から「原町市良い映画を見る会」は昭和45年に発足した。代表はかつての原町公民館長で、日本キリスト教団原町教会の成瀬高牧師。事務局は松永ミルク・パーラー。事務局長古山哲朗氏。
第1回の主催上映は「沖縄」同時上映は「グランド・バカンス」。以下「君が若者なら」(のち「若者たち」というタイトルに決定)「明日また生きる」「ママいつまでも生きてね」」「ボクは五才」「抵抗の詩」「ひまわり」「戦争と人間」第一部、第二部「ニホンザル~その群れと生活」など。
本格的な機関紙「はらまちの灯」を発行。
〔日本映画界の危機は、さらに一段と進行しているようです。六月よりスタートした「ダイニチ映配」の予想を下回る成績、大映東京撮影所の売却、東宝の全面的な合理化、東映の組合運動家の首切り計画等々〕
〔一方、エロ、グロ、ヤクザ映画を量産して自から斜陽化の道をたどっている映画産業界の中で〕と、舌鋒鋭い文章が続く。労働者感覚あふれる内容なのは、会員には当時の社共革新政党の支持者が多かったからだ。編集を担当していたのは元小学校教諭の佐藤邦雄氏。「今、読み返してみると、大分ひたむきにつよい調子の文章を書いていたものです」と回想する。
第2号からは「町の灯」に変更。以後このタイトルで続刊。チャップリンの「街の灯」と「はらまち」を掛けているのは言うまでもない。
第9号は1972年(昭和47年)に発行された。8月のすいせん映画に「男はつらいよ・柴又慕情」そして10月のすいせん映画は「屋根の上のバイオリン弾き」。また「わが青春のフロレンス」のコラムが掲載されている。
1974年度(昭和49年度)の活動報告をみてみると「戦争と人間 第三部」「カチューシャ」販売協力。
50年度活動として「追憶」「金環食」「砂の器」「デルスウザーラ」「七人の侍」「サンシャイン」「同朋」「妹」「大地の冬の仲間たち」などを推薦した。
平成元年12月2-3日には原町シネクラブと共催でヴェルナー・ヘルツォーク監督の「ガスパー・ハウザーの謎」と、「闇と沈黙の世界」を原町市文化センターで上映。

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