「私の知る浪江の映画史」島田有造
 〔映画界の進歩は早く昭和に入って電球からカーボン式に映写機が改造され、明るさがグッと違って倍以上アップされた。この頃から「活動写真」を映画と称するようになったのです。それと共に音楽をフィルムに録音されるようになり、サウンド版として地方にも配給されるようになります。  そして遂にオールトーキー時代がやってきたのです。反響を呼んだのは、なんと言っても、スターの声が聞かれるということだったでしょう。「どんな声をしているのかな」と期待と楽しさを味わう観客が急増したのもこの時代、その人気が最高潮に達したのは昭和六年でした。忘れることのできない、浪江の映画史に記すことのできる第一作が上映できた年です。  「上陸第一歩」勿論白黒映画、オールトーキー版なのです。主演は岡譲二、水谷八重子、新人滝口新太郎でした。〕
「上陸第一歩」 調査してみると、「上陸第一歩」は話題作で、たしかに昭和6年に完成予定であった。しかしクランクアップが昭和7年にずれこんだ。島田氏が昭和6年と記憶しているのは、昭和7年以降のことであると考えられる。
「浪江の映画史」つづき。  〔この映画を上映するには、当時神谷キネマで設備されていないため、平館(いわき市)巡業部の出張、オールトーキー版となると映写機、音響用の機器、と今までの無声映画の映写機とうって変わり大変な機械の数が増えたのです。とにかく、都市の常設館で使用する映写機なのでトラックに積んで搬入、これを映写室に設置して上映するようにしたのです。  この平館巡業部の巡業先は浪江座と原町市の朝日座に二館、どちらが先になっても、終映を待って次の上映館に搬入したので午前一時か二時頃までかかって翌日上映の準備をしたものです。平館が巡業するようになってから洋画も見られるようになり、たしか「制服の処女」という映画が浪江では初上映だったのです。〕(後略)  とすると、原町でのトーキー初上映も、浪江と同時。平館からの巡業で、「上陸第一歩」ということになる。 原町市史ではこれまで昭和8年にトーキーが上映された、としてきたが、その根拠は不明である。同作品は昭和7年1月の配給なので、封切り館の平館でも昭和7年中の上映と思われる。したがって、原町でのトーキー初上映も昭和7年という蓋然性が高いだろう。  平館とは別に、「平町有声座よりの出張」のケースもあった。  当時の支局長石川正義の報道と思われる記事の中にその例があった。
〔浪江座 浪江町常設浪江座に於いては来る二十一日より日活超特作として好評を博した現代劇牧逸馬原作村田実監督小杉勇夏川静江入江たか子峰吟子等総出演の「竜巻長屋」全十巻を上演するが今週は平町有声座よりの出張で人気を呼んでゐる〕 (昭和6年7月20日民友)  このほかにも、福島民友に浪江町で上映された映画についての報道がいくつかある。やはり石川正義による記事であろう。
「満州事変映画 浪江座で公開」 〔満州事変実写第一報は大森双石氏の手により十月五、六日の両日浪江座に於いて公開される、引き続き海岸線各地に公開される筈で、第二報、第三報も到着次第上映さるべく今より大いに人気を呼んでいる、尚ほ特に九条武子原作山中峰太郎脚色の大映画「無憂華」も同時公開の筈である〕 (昭和6年10月3日民友)
浪江座の活動 〔浪江町浪江座活動写真常設館に於ては来る十月二日より蒲田撮影所創立十周年記念撮影の大松竹キネマ超特撮の鈴木伝明・田中絹代主演の進軍十二巻を上映するが景気は素晴らしいので盛況を予想されて居る〕(昭和5年9月30日)

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