燃える映画館
 映画館は燃えやすかった。フィルムの材質がセルロイド製であったので、フィルムそのものが可燃性で、電灯式の光源からアーク灯になったため、火花がフィルムに着火しやすく、映画館の建物が木造でふるい小屋が多く、そこから壁や天井に燃え広がりやすかった。 ざっと見わたしてみても、昭和2年4月、白河の友楽座で映写中のフィルムが燃上り大騒ぎを演ず。11月、田村郡大越村大越農村娯楽場において活動写真を映写中フィルムに点火一巻を焼失大騒ぎ。昭和3年8月、福島劇場でフィルム火事。呼物「水戸黄門」二巻、鮨詰の観客大騒ぎ。昭和4年、若松市中大和町の大和舘が焼失。昭和5年坂下公会堂の火事騒ぎ。坂下町松竹直営公会堂で活動映写中フィルムが発火。上映助手の手落からフィルム「愛人」二巻が焼失。昭和5年2月、若松市栄町活動常設舘栄楽座が焼失。昭和5年2月、平有声座の上映中に機関室から発火。4月、石城郡川辺で上映中に失火。昭和7年2月に石川劇場焼失。昭和7年12月に湯本町でフィルムが車に引火。昭和9年5月11日、田島劇場弁天座焼失。3月16日、本郷町フィルム火事。12月25日、勿来劇場全焼す。昭和10年9月に廣田劇場全焼。昭和14年11月、電熱フィルムに引火して川部劇場全焼。昭和15年3月、勿来共楽座全焼。16年3月、郡山会館全焼。
このころ、旭座も小火さわぎがあったという。やはり火花がフィルムに燃え移ったものだが、観客が銀幕に映し出された影をみて、スクリーンから天井まで炎上したと錯覚して出口へと殺到した。さいわい、映写技師の機転で、燃え盛るフィルムをマガジンごと外して放り出し、延焼はまぬがれた。現在のように二階に映写室があるわけでなく、玄関近くに映写室を設けて、客席から一段高い位置から映写していたという。

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