6. 戦後シネマパラダイス
終戦直後の朝日座
 昭和21年8月31日、原町紡織工場の復興祭で、「洋画の上映会を朝日座でおこなった」と当時の雑誌にある。(「秋市にサーカスが来た頃」)  禁止されていた欧米洋画は、戦後の開放的な雰囲気を味わわせてくれた。具体的な題名はわからない。戦前作品「キュリー夫人」など戦前のストックが上映されて人気を呼んでいた時代である。  敗戦直後の昭和20年11月1日民報に、「各地のたより」の相馬の項目に、次のような記事がある。  〔常磐線亘理、草野間鉄道奉公会大会は一、二の両日午前九時から原町旭座に挙行、千秋仙台管理部長訓示の後永年勤続の職員表彰があり従業員余興の慰安が昼夜二回行われる〕  11月4日号には、中村町の中村座で、朝鮮人集会の告示がある。  〔中村地方在留朝鮮人は四日正午から中村町中村座で新朝鮮建国、世界平和維持、及び同国同胞保護、並に在留同胞財産生命保護在日朝鮮人連盟中村支部結成式を挙行〕  続く11月6日には「原町町民大会」と題するべた記事が載っている。  〔相馬郡原町の有志奮起の下に三日午後六時から旭座に於て町民大会を開催雲雀ヶ原飛行場開墾問題に地主小作人問題、食糧問題に就て論議し気勢を揚げた〕  当時の劇場は、映画館としての機能のほかに、というより、映画の供給が少なかったゆえにも町民のさまざまな大会、行事が行われた。  昭和21年1月15日民報。 〔日本革新党では十三日午後一時原町座で田中義□演説会を開催〕  昭和21年2月には戦時中に強制合併されていた福島民友が復刊し、この年何回か紙面に朝日座の名前がみえる。  3月16日民友。「多額を詐取」という記事では、映画がらみの詐欺事件を報じている。  〔本年一月中旬相馬郡原町字南新田居住の高橋七郎氏から活動写真機を買ってやると称し金四千円を詐取した名古屋市在住・・・の・・・□川□雄(29)は十四日原町署に検挙取調べられてゐるが、昨日来梅田武氏外数名からも同手段で多額の詐欺を働いてゐることが判明した〕 というのだ。  高橋七郎なる人物が、終戦直後に活動写真機を所有する興行関係者であったことを物語る。梅田武氏は昭和初期に原町映画協会のメンバーとして記録映画の製作にたずさわった人物。老舗の主人である。  ちなみに、この当時の映写機はアーク式で巨大なもの。一財産である。  9月8日民友。 〔◇相馬郡原町郷土芸能振興会主催で八日朝日座に北日本民謡コンクール予選会を開いて代表選手を送り大に民謡相馬の名声を伝へることになった〕  民友には朝日座という表記になっているが、この当時は旭座という表記が一般的だった。  10月14日民友。「原町に喜劇団」 原町に喜劇一座がやってきた。しかし会場は不明。  11月4日民友。憲法記念日の運動会の午後、朝日座で記念演芸会。 〔原町では体育協会と共催で午前九時から国民学校庭で町民大運動会、午後から旭座で演芸大会を〕行った。  昭和22年2月8日民報にも旭座の名が見える。 〔文化映画 共産党相双地区文化部では東宝作品で労組の生産管理を主題とした文化映画「明日を創る人々」と朝日ニュースを原町旭座で月末に上映する〕  〔全官公労音楽会 相双地区全官公庁労組協議会では七日午後六時から原町旭座で音楽会を開く〕  朝日座はまさに原町町民の政治と娯楽のセンターだった。 もちろん映画の上映が主なる役目である。昭和22年2月11日の「二月の映画街(終)」という民友映画紹介欄に、原町座と原ノ町劇場の名前が見える。  原ノ町劇場 四日から「金ちゃんのマラソン選手」十一日から「街の野獣」十八日から「愛の暴風」廿五日から「喰うか喰われるか」  原町座 四日から「パレットナイフの殺人」十一日から「山吹荘」十八日から「お夏清十郎」二十五日から「けんらんたる復しう(復讐)」  原ノ町劇場というのが、朝日座のことなのだろうか。  昭和22年4月8日民友に、原町には3つ、中村に2つの映画館が稼動していたことを示す記事がある。  「浜通り 四月の映画街」  原町松竹 八日から「うたかたの恋」十五日から「傷痍軍人」廿二日から「のんきな父さん」  原町座 八日から「山吹荘」十五日から「恋三味線」廿二日から「おかぐら兄弟」  原町東宝 八日から「わが青春に悔いなし」十五日から「麗人」廿二日から「俺もお前も」  原町松竹というのが、今日の朝日座のようだ。「うたたかの恋」は調査したかぎりもっとも早く原町で戦後上映された洋画の一本。


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