質草で買った肉弾三勇士フィルム
二代目の丸川のキミちゃんこと布川キミの回想によると、昭和7年ころに「肉弾三勇士」が話題になった。日活、新興、河合など映画会社が競って制作して全国で賑わった。興行的に成功できる見込みがあるので布川夫妻も原町にこの映画を持って来たかったが、こういう人気映画は滅法値段が高い。当時は原町座を共同経営していた神谷豊次郎が取り寄せた「肉弾三勇士」フィルムが、原ノ町駅まで届いていたものの、金がない。補償金を積まないとフィルムを回してもらえないので、「必ず儲かるフィルムだから三日で請戻しに来る」と言ってキミは質屋に着物を運んで金策し、人の目をはばかって帰りは裏口から出てきた、と語ったことがある。  「肉弾三勇士」は新興キネマ、日活、東活、河合、赤沢キネマなど多数の版がある。昭和7年1月の上海事変で日中が軍事衝突した事件で、三人の日本兵が爆弾を抱いて鉄条網を破った自爆攻撃が全国で賞賛されて映画化されたもの。

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