レンタル・ビデオは花盛り
 原町初のビデオ・レンタル店が登場したのは昭和59年9月のこと。昭和60年12月、原町市内のビデオレンタルショップは3店に。昭和61年までの1年間に4店が開店し、計5店舗になった。(あぶくま新報61年10月8日)  62年のホーム・ビデオ普及率は50%近くなり、ソフトの売上はレンタルを含めて2400億円とも3000億円とも。ビデオによる映画鑑賞人口は述べ3億人以上。つまり映画人口そのものは、ビデオやテレビの劇映画ファンまで加えると増加している。映画館へ足を運ぶ人口が減っているということだ。(読売新聞63.1.31.)
布川語録 「生まれ変わっても朝日座館主に」
〔映画って素晴らしいですねェ。大ヒットの「ゴースト・バスターズ」と「グレムリン」の上映を前に、朝日座の布川雄幸さん(59)は、「わからないものですね。何がヒットするか、まったくつかめない時代になりました。」と、しきりに首をかしげる。 「いまの映画ファンは、ストーリーの展開とか作品の妙味よりも、どれだけ面白い場面やショッキングな場面が多いかで映画を決めるみたいですね」と。 三十一歳で館主になって三十年、戦後映画の全盛と衰退をつぶさに見てきた業界のベテラン。その氏の目も、いまの映画ファンの志向は読み取りずらいらしい。 「日本だけですね。映画人口が極端に減ったのは。全盛時代の十分の一まで落ちました。アメリカやヨーロッパの大部分は、ほとんど映画人口に変動はないのですよ。」 映画にほれこんだ布川さん。残念でならない表情だ。 「ビデオ時代といっても映画の素晴らしさに比べたら、比較にならないですよ」 と話す氏の瞳は少年のように輝いて、その頬は紅潮する。聞く人をファンにしてしまう布川さんの映画への情熱。「映画ってホントに素晴らしいですね」と感じ入る。〕 (昭和60年2月あぶくま新報・創刊準備号) 〔市内にもレンタルビデオの店が雨後の竹の子のように続々とオープンしているが、映画館のない町ではビデオレンタル業は成り立たない、と配給会社でも言っている。何てったて映画なんだという原点を守って行くのが私の使命。原町に一年でも長く映画館を残しておきたい。そのためには若い映画ファンを育てておかなければならない。儲けが少なくとも封切り作品を上映することで若者の気持ちを映画につなぎとめておきたい。「私は今度生まれ変わっても朝日座の仕事をするつもり」〕(62年3月8日あぶくま新報)

「はね駒」相馬市でロケ
 昭和61年1月、NHK朝のテレビ小説「はね駒」のロケーションが相馬市で行われた。主人公は相馬中村の出身、磯村ハルがモデル。斉藤由貴が主演。4月から9月まで放送され、地元ブームになった。 昭和62年1月には、正月興行が全国的にふるわなかったが、原町シネマで「恋する女たち」が好評で最高入場記録を達成。  「映画スターとしての薬師丸ひろ子の人気がもはや下火で客を集められない。新しいスターは斉藤由貴ですね」と布川氏の談話。(62年1月28日あぶくま新報)

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