朝日座点描 落語・ポスター展・サイン会
 昭和57年3月6日民報は「小中学校教材用16ミリフィルム敬遠され利用悩む」と報じている。ビデオの普及と、古くて使いずらい操作が敬遠された。  4月、原町公民館が反核映画「にんげんをかえせ」の上映を企画した高校教師山崎健一氏らに対して、政治的思想的な映画との判断を理由に会場使用を拒絶した。しかし原町市憲法を守る会の古山哲朗会長らが「原水爆を考える市民の会」を結成。よい映画を見る会」との上映共催という形をとったため、マスコミと市民世論に批判されて公民館側が折れた。5月15、16日に市文化センターで上映された。原爆忌を前に8月4-5日には、市の後援で反核映画の第二弾「予言」を文化センターで上映した。  相馬市の中学教諭荒川新太郎氏が、映画館のなくなった相馬市で自主上映する相馬映画センターを旗揚げ。朝日座の全面協力で実現し、9月8日に定期上映がスタート。 7月10日。三遊亭笑三の落語会(木野博之実行委員長)が朝日座で開催。 昭和57年12月3日から3日間、「朝日座で見た映画ポスター展」を原町ダイエーカツミヤ(販売促進課・企画室長鹿又泰氏)は4階催事場で開催した。 この年「Uボート」「典子は今」「ああ野麦峠」「旅芸人の記録」上映。
昭和58年の新年、朝日座は正月映画として「汚れた英雄」を上映。主役の草刈正雄のスタントとして、オートバイレーズの場面をふきかえた原町出身のライダー平忠彦を招待して、駅前のダイエーカツミヤ原町店で、1月4日サイン会を行った。原町では平忠彦の方がヒーロー。  昭和58年6月9日。 朝日座は、原町が展開する自転車都市構想HACCSを先取りして「自転車を無料貸し出し」を始めた。  8月11日午後6時から、「原水爆を考える講演会と映画の夕べ」が朝日座で行われた。県立医大名誉教授横山正松代表世話人が「私の昭和史」と題して講演。アメリカの原爆記録フィルムを市民の寄付で買取り映画化する10フィート運動から生れた羽仁進監督の「歴史 第三部 核狂乱の時代」を上映。入場料300円。  10月11日民報。 朝日座は「相馬農業高校に入学中の中国人留学生6人を映画と食事に招待」した。通訳担当は次女布川ひろ子(南海国際旅行社中国室勤務)。
原町シネマで昭和59年5月に「風の谷のナウシカ」が上映。8月21日には、森田童子ライブ・イン・原町シネマが開催された。10月27日から「竜二」「熊座の淡き星影」を原町シネマで特別上映した。  朝日座では「フラッシュダンス」「愛と青春の旅立ち」「ザ・デイ・アフター」「ガンジー」「空海」「天国の駅」ゴジラ」など。
「新聞少年を招待」(昭和60年10月28日あぶくま新報) 〔十月二十日、新聞少年の日にちなんで、原町市栄町の映画館主布川雄幸氏は、市内の新聞少年二百人を無料招待した。 この催しには市身障者福祉会などもすいせん団体となったほか、会場の市福祉会館も無料でホールを開放したほか、市スポーツ少年団本部も協力するなど善意の輪が広がった。上映された映画は「きみが輝くとき」という作品。二十日の映画会には大町の原町市良い映画を見る会会長古山哲朗さんもかけつけ、「私も昔は新聞少年だった」と挨拶に立ち、少年たちを激励した。〕


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