日活の異色監督浦山桐郎
昭和44年制作の「私が・棄てた・女」のラストシーンに、パートカラーの野馬追のシーンが挿入されている。主人公ミツの出身地が原町という設定で、駅前のそば屋の店員をしていたという台詞がある。ミツの働く養老院での慰問に相馬民謡歌う、その望郷の回想シーンとして野馬追の場面は出てくる。 浦山監督は昭和42年の夏期大学の講師として来市しており、相馬野馬追を見物している。野馬追に出馬した三船敏郎とともに、浦山監督の印象にも相馬野馬追祭は強く映画的心象として残ったようだ。 「映画界は一層悪くなり、私のいる鹿島町にたった一つあった劇場も消滅し、いまなにか娯楽場に改造されようとしている」 と42年7月24日の民報に原町市の小学校教員でシナリオ作家の社内慶雄氏は書いている。この一文は「夏期大学と映画」と題して浦山桐郎の来原について論じたもの。監督は7月29日にやってきた。
無声映画の発掘
昭和44年3月には、原町の昭和初期を撮影したフィルムが発見され、歴史愛好者たちで組織する原町史談会が上映会を行った。(昭和3年の「原町地方紹介」を参照) 翌45年には、布川氏の助言と仲介によって、可燃性のセルロイド製のこのフィルムを16ミリフィルムに複製し、市内各所や東京原町会などで首都圏に住む出身者に公開した。
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