短編の連続上映と洋画名作
浜野博充氏は昭和29年に原高に入学した。 〔その頃は映画全盛の時代でその影響は絶大でした。当時は学校推薦映画があり、それを図書部員全員が映画館へタダでよく入れていただきました。自分では月に五、六本の映画を見ていましたし、試験期間中は必ず通いました。〕と50年記念誌「躍進」に寄稿している。 「赤い靴とかが印象に残っている。朝日座は三益愛子の母ものなど方をやり、原町映劇では洋画の西部劇なんかをやっていた。あの頃、モヒカン族の最後という西部劇の短編が毎週連続で上映されていた。図書部で見ることの出来た映画は名作とかマジメな作品。西部劇は除外だったが、そっちの方が本当は見たかったワケよ」 「赤い靴」が朝日座で上映されたのは昭和25年。浜野氏が見たのはまさに新制になったばかりの原町中学校時代だ。 スペイン思想史研究家の佐々木孝氏は原町中央劇場で「波止場」を見た強烈な思い出がある。このアカデミー賞作品は昭和29年12月25日のクリスマス一日興行だった。 佐々木氏は中学生の頃に中央劇場の近所に住んでいた。「あのころは高校受験のときも大学受験のときもお構い無しに映画館通いをしていました。マーロン・ブランドとエバ・マリー・セイントがよかったし、カール・マルデンの鼻の形が印象的でした。あのころ見た映画ではいちばん好きでした。『エデンの東』も見ましたが、音楽は素晴らしかったけど、ジェームス・ディーンの甘ったれた演技がどうも鼻について、彼の主演映画は全部見たはずですが、とうとう好きになれませんでした。あのころ、『誰がために鐘は鳴る』も見ましたが、スペイン語を勉強しようかな、と思ったきっかけになった映画です。最後、傷ついたクーパーが、バーグマンを馬に乗せて逃がし、ひとり機銃を構えて政府軍を迎え撃つ場面が印象的でした。  それにしても、あの頃いわゆる洋画から私たちはずいぶんいろんなことを教えられ、夢見る術を習った気がします。」と回想する。


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