セントラル劇場の誕生  そして昭和27年5月2日に、原町第三の映画館館、セントラル映画館が開館した。昭和27年5月3日福島民報の総合版の「豆ニュース」に、次の記事がある。 〔【相馬】原町にセントラル映画館原町駅前にセントラル映画館が出来、二日から開館した。相馬には珍しく個人イスで階下は二百八十一、階上は八十一、同町の映画館は原町映画劇場と朝日座と合せてこれで三館となった。〕 たったこれだけの記事だが、映画百年の年に、百年分の新聞をしらみつぶしに調査してこそ見つけ出した、わが町の活動写真史の大事な記録である。セントラル映画館は、東宝の人気映画と洋画を上映して若者の人気を集めた。記事の下には「祝独立日本」などという広告がある。前年に講和条約を締結し、翌年の5月から条約が発行。ようやく「独立主権」を認められた、そんな時代だった。県内各地の戦後の映画館に「〇〇中央」という名前が多い。戦後アメリカ映画を供給する会社がセントラルといったことの影響だ。セントラルあるいは「中央」という命名には戦後の響きがあった。昭和27年に発刊された「昭和26年度原町町勢要覧」の映画劇場の項目によれば、 原町映画劇場 神谷豊次郎  電話516番  朝日座     神谷豊次郎 セントラル映画館 半沢武雄  電話404番   の名が残っている。三館揃い踏みの最古の記録だ。セントラル映画館(原町中央劇場とも呼んだ)は昭和27年5月に開館したのだが、当時の「要覧」は、昭和26年度の分は26年度が終了してから26年度すべての続計を掲載するために、翌年の27年になってから発行したので、実質的に27年度に開館した館まで含んでいるのであろう。26年度要覧に載っているからといって26年に開館した訳ではない。

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