原町映画劇場の誕生
 明治の頃に出来た芝居小屋の原町座はすたれ、戦前は衆楽園と呼ばれて秋市やサーカス相撲巡業などが行われた広場に、新たに戦後になって神谷豊次郎の手によって原町映劇という映画館が誕生した(のち渡辺徳氏のもとで原町文化劇場、さらに布川氏のもとで原町シネマと改名)。昭和27年1月8日の民報に「原町映画劇場」の正月広告が載っている。「原町映画劇場」の文字の隣に 「朝日座・共同興行社神谷電五一六          丸川電一一六 福島県相馬郡原町」  という表記になっている。原町映画劇場(通称原町映劇)は、戦後の映画館ブームを告げる新館オープンとして、町民に歓迎された。場所は現在の栄町共栄会駐車場。ここは、かつて町民いこいの広場であった衆楽園の一角。戦前の町一番の歓楽街であり、遊郭もあり夕闇に人を誘う太鼓の音が流れ、また収穫期になれば名物の原町秋市の露店も見世物小屋などがたちならび、サーカスが興行されて賑わった場所である。原町座と旭座オーナー神谷氏が建設した。
 渡部徳と原町文化劇場
 原町映画劇場は、神谷豊次郎が建設したが、のち渡部徳氏の経営に移り原町日活、原町文化劇場として継続。渡部は会津若松出身で、昭和22年にそれまで歌舞伎や演劇の興行から映画に転じて仙台市立町に東北一の大映画館「東北劇場」を設立。白石市内など6館のほか福島県内3館の映画館を経営。昭和35年に原町映画劇場を入手し、原町文化劇場と名を変えた。昭和54年にこれらを一斉に閉館。東北劇場跡地に駐車場を経営した。原町文化もこの時の昭和54年に閉館。劇場は布川雄幸朝日座社長が買取り、さらに原町シネマと改称して最後の興行を行い、平成元年に消滅。渡部徳氏も平成元年1月14日に没した。

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