行人社の洋画巡業と吉田定雄
「浪江の映画史」によれば昭和22、23年頃に神谷キネマの他に行人社(吉田定雄氏)の洋画の巡業が進出。吉田氏は南洋から引き揚げて宮城県白石に本拠を構え、洋画専門巡業班を編成。小高、浪江、久の浜を手はじめに相双地方に洋画を導入提供した。この頃の浪江での映画機はデブライというトランク型の巡業用のものだったという。吉田氏は先年92才で死去。
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行人社の洋画巡業と吉田定雄
「浪江の映画史」によれば昭和22、23年頃に神谷キネマの他に行人社(吉田定雄氏)の洋画の巡業が進出。吉田氏は南洋から引き揚げて宮城県白石に本拠を構え、洋画専門巡業班を編成。小高、浪江、久の浜を手はじめに相双地方に洋画を導入提供した。この頃の浪江での映画機はデブライというトランク型の巡業用のものだったという。吉田氏は先年92才で死去。