アメリカ映画が上映禁止された日
昭和16年6月、県内トップを切って郡山の新築の東宝映画館に防空壕が設置された。7月には尚武精神を鼓舞しようと相馬野馬追のラジオ実況録音のうえ全国放送が行われた。  県保安課は、従来の映写時間三時間を、さらに30分短縮して2時間30分に。ニュース映画や文化映画は大体150米、30分を限度として上映を許可。  「国民進軍歌」「白虎隊」東日トーキー映画会が県下で巡回。原町朝日座では2月4日に上映。  昭和16年12月8日、日本海軍は真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が勃発した。敵国米英の映画は上映禁止になった。  福島市内の映画館で上映されていた西部劇「平原児」は、急遽、同盟国ドイツ映画にさしかえられた。  昭和16年12月17日東京日日 〔映画街 映画館では増税は影響がなかったが開戦とともに入場者は以前の三分の一となった、日米戦のニュース映画が到着すればこれを回復を予想され休憩中ラジオのニュースを放送してゐるところもある、某館では英米排撃であわてて「平原児」をドイツ物に差変へて上映してゐた〕
 原町座の木戸
 昭和17年12月に、相馬農蚕学校の第22回卒業記念アルバムが発行されたが、貴重な原町座の写真が載っている。俳優のポートレートや映画のスチール写真を掲示した入り口で、学生たちが屯している様子で、「金がないから今日はこれで我慢しやうネ サボり連中 今日も映画か?」と揶揄し滑稽なキャプションを付している。  前年まで植松写真館が担当していたアルバムを、この年から浜野写真館が担当し、撮影を担当したのは浜野力雄氏。明治43年生まれ。映画部の写真も載っている。また、太平洋戦争の緒戦の勝利を伝える勇壮な紙面の各新聞が2ページにわたって掲載されているほか、学内で「宮本武蔵」上映会を12月26日に行うというポスターなどもある。おそらく最新の昭和15年のものであろう。  「宮本武蔵」(日活太秦作品。原作吉川英二。脚色榎本宏。撮影稲垣浩。撮影宮川一夫。主演片岡千恵蔵。宮城千賀子。前編を全三部作に収める。昭和15年5月1日、富士館)

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