大日本帝国「映画法」と
県内トーキー巡回映画会

 ナチス・ドイツのめざましい進撃と映画水準の高さは羨望の的だった。ドイツの例に倣おうと日本でも映画法の制定が昭和14年3月の衆議院本会議で論議されたが、具体的には「農村に映画を送れ」という都市と農村の文化的格差の是正を主張する意見が大勢を占めた。
映画法の制定
〔この年の10月1日から「映画法」が実施。その施行令第42条に「常設の映画興行館において興行を為す映画興行者は、一映画興行場に付一年を通じ五十本を越えて劇映画を上映することを禁ず」という項目が挿入され、外国映画の営業も制限された。
映画法16条の「主務大臣は必要ありと認むる時は命令の定むる所により映画興行者に対し外国映画の上映に対し其の種類又は数量の制限をなすことを得」の規定から出たもので、日中事変の進行とともに、国内与論の統一をはかるために必要から、この種の鎖国措置に出たものと見られる〕(発達史Ⅲ)
昭和14年2月から3月にかけての東京日日による県内巡回無料映画会は次の通り。
〔東日トーキー映画巡回△東日大毎国際ニュース最近報まで十数巻△軍事映画勇しき訓導△浪曲映画乃木将軍と辻占い△大陸行進曲△漫画その他
二十四日 中村町 新開座
二十五日 飯豊村 小学校
二十六日 鹿島町 鹿島座
二十七日 原 町 旭座
二十八日 原 町 旭座〕
また8月22日に
〔郷軍映画会 原町郷軍分会海軍班の活動写真会は二十七日八日両日旭座で開催〕の記述あり。
12月には「国民精神動員東日トーキー映画会」を行っている。
〔プログラム=東日大毎国際ニュース、欧州戦乱ニュース最近報まで数巻△世界航空発達史△世界一周飛行の歌一巻△ニッポン東京凱旋一巻△国策映画物価停止令とは一巻△映画劇栄光の家五巻△漫画その他数巻〕
〔12日 中村町 新開座
13日 原の町  旭座〕

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