戦ふ映画館 銀幕の昭和史
戦時下の原町の映画事情

村にニュース映画がやってきた

 〔1937年7月に日中戦争が始まると、ニュース映画の専門館がたくさん出来た。戦争の状況を知るためにニュース映画だけを見るという観客が増えたのである。日本軍が中国のどこかの都市を占領するたびに、その城門の上でバンザイを叫ぶ日本兵たちの記念写真ふうの場面が見られた。〕(岩波「戦争と映画」
人々は熱心にニュース映画に見入った。なぜならそこに戦地の肉親の姿を見つけるかも知れないからである。実際に銀幕の中に肉親をみつけた人々の様子を好んで大々的に新聞は扱った。映画館は、兵士の写真をフィルムから焼き付けて客にサービスまでした。
12年12月12日の朝日の記事に県下で11、12日に戦勝パレードあることを予告し、〔原町では十一日提灯行列を行ひ十二日午前八時からは三島神社で戦捷奉告祭並に武運長久祈願をするとともに旗行列も行ふ〕とある。
朝日主催のニュース映画が中国から届いてすぐ上映会も行われている。12月13日「読者慰安ニュース大会」
〔原町本紙直配所主催で二十三日から五日間鹿島、中村、原町方面でトーキー・ニュース映画会を催す〕
12月18日「朝日トーキー」28日から31日にかけて浪江方面で上映を予告。

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