昭和10年の秋市と朝日座  鹿又泰が見た昭和初期の映画館
昭和10年の映画の福島県内の入場者は一日7000人。原町の一日の映画入場者は108人、こども入場総数一日33人を数えた。中村は大人一日平均45人。小人18人。(福島県史)  旭座の前で楽士が並んで記念写真を写したものがある。昭和10年11月10日に撮影された。当時の上映作品は「隣の八重ちゃん」「さすらひの乙女」「ふるさと晴れて」「風流活人剣」「天明旗本傘」。  「隣の八重ちゃん」の主役の逢初夢子。福島県出身の女優第一号だ。家庭的で健康なお色気が、大船調の基本的なカラーを出している。  秋市興行記念である。旭座はトーキー施設への過渡期である。  昭和初期、それは映画に「声」を求めた時代でもあった。  鹿又泰氏は、昭和初期の映画館を回想して次のように書いている。 〔無声映画時代の映画館の総称はたしか「活動小屋」だった。えー、おせんにキャラメル、ラムネー! のし烏賊とオシッコとアーク灯から出る火花の匂い、花道、桟敷、下足番のおじさん、拍子木と前口上と幕開け、臨官席、天国と地獄のメロディーと御用提灯。これが就学前の子供の頃の活動のイメージである。始めてみた活動写真が「キングコング」だった。〕  〔「臨官席」というボックスの中には、戦艦大和の艦橋で指揮をとる山本五十六元帥のようなポーズのいかめしい制服で(ある時には私服で)、お巡りさんが「他人の恋路を邪魔する」ために、ロハでシャシンを見に来ていたように憶えている。本来は反体制派の弁士でもいて反動的な言動を弄した時に、「弁士中止!」と一喝して、カッコいいところを見せたかっただろうに・・・。「ボックス」の中にマルマゲのエプロン姿の「エビスビール」のポスター、火の用心の貼り札も貼ってあったっけ。〕  「キングコング」は昭和5年公開。須賀川出身の円谷英二は本名を英一といって、キングコングを見て特撮を志したという。

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