不況・プロレタリア・娘身売り
 昭和5年、プロレタリア文学の映画化である「何が彼女にそうさせたか」が5週続映し「キネ旬」ベストテン第一位になり、移民奨励映画「行けブラジルへ」が完成。  「不況の煽りを食って県下の映画館は青色吐色」(昭和6年1月17日民報)  昭和5年の県下に常設館は30館。観客は144万人だった。  翌年の昭和6年の常設館は32館。観客231万人にのぼった。(昭和7年2月5日民報)  この年、警視庁保安部は、それまでの活動写真の男女別席を撤廃。 昭和7年の入場者総数は272万7000人にのぼった。(民報) 昭和8年の入場者総数221万人。常設館は35館。発声機施設は9館のみ。(民友百年史)
昭和2年の野馬追「第二日目の盛況 活動写真隊も数組みえた」と当時の新聞にある。 原町便り(昭和3年7月) 〔◇興業(行)物では旭座の東亜、松竹の特撰映画悲劇、剣劇物を以て人気を一館に集めんとしてゐる一方衆楽園には曲技団が之又腕によりをかけて人気を煽ってゐる原町座にては未だ興業(行)物の決定を見ないが例年連鎖劇を以て大当りをやってゐる事であらうと思ふ〕 (昭和4年民報9月20日) 〔原町座で樺太移民募集映画盛況〕 原町常設館のレンズ泥棒 〔原町常設館に十一日夜賊忍び入り映写用レンズを窃取したものあり原町署で捜索中であるが賊は事情を知って居る者の仕業ではないかと見られてゐる〕(昭和5年民友)
昭和5年8月9日、衛生映画会、小高、浪江、原町、鹿島
昭和5年11月、原町で青年会が伊藤大輔の「興亡新撰組」を上映。  昭和5年12月、県自動車協会は事故防止宣伝フィルム「みち」を浪江でロケ撮影して制作。

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