撮影された福島県最古の映像は相馬野馬追
原町映像史 明治~昭和初期
福島県で最初に映画が撮影されたのは、相馬野馬追であろう。明治39年に日本の撮影隊によって、日本の各所の奇祭が撮影されたフィルムが興行された記事がこれまで調査した映画史年表にあり、「相馬の馬追い」という記述が見える。
シネマトグラフは、映写機であると同時に撮影機でもあった。映画上映の機会は撮影の機会でもある。明治43年の野馬追にはフランスの撮影技師が福島県の野馬追の撮影に来訪する予定という民報の記事がみえる。
明治43年7月21日民報。
〔△活動写真撮影 野馬追祭の盛況を活動写真のヒルムに撮影すべく仏人某は本日頃来原する由(九日原町に於て巴江生)〕
巴江とは齋藤亀一郎という民報初期の記者。これが外国に紹介された最古の福島県を撮影した動く映像かも知れない。
だが、「来て撮影した」という記事はまだみつけていない。もし撮影が実現していたなら、フランス本国に最古の福島県の姿が現存するかも知れない。
大正末年にブラジルに移民した石神村大原出身の菅山光さんは、かやの木橋の下で活動写真のロケーション撮影をみたことがある、という。現在95歳だが、事実とすれば大正時代の撮影である。
昭和2年7月3日の新聞には〔野馬追実況を活動に撮影 農林省畜産局で〕
〔相馬郡野馬追は十一日から十三日まで三日間挙行されるが本県畜産係では農林省に対しこれが活動写真撮影方依頼中であったが今回農林省畜産局で活動に撮影することになったがこれが出来次第各地に公開すべしと〕
同日の朝日新聞では「野馬追を映画に」という記事を載せ、同内容だが、
〔馬事思想普及のため相馬野馬追を活動に撮影すべく先に伊東知事は農林省畜産局に対し撮影方を依頼してゐたが同局撮影隊は祭典当日の十二日来郡し撮影する事となった〕
と伝えている。同紙7月7日は
〔相馬野馬追を関東国粋会が映画として東都において公開するの計画は着々具体化しつつあったが十日鍋島直縄氏が木田会長山田忠太等と来郡相馬の原を背景に三社はもちろん御本陣新田川騎馬武者出陣の場等を劇的に仕組んで撮影することになったので地元では委員を挙げてこれを後援するはず〕
福島毎日は昭和2年6月30日「仙鉄局の新しい試み 野馬追祭を絵巻物にして」という記事を報じている。仙台鉄道局の撮影班も観光宣伝のため撮影に来ていた。