初めて活動写真みた六十年前
星輝徳(川崎市在住・東京原町会会員)
六十何年か前、七月十一日から三目間の野馬追祭。学校は休み。私は初めて活動写真を見に行った。多分、野崎正君と三郎君の兄弟と一緒だったと記憶している旭座。木戸銭を払い、下駄をフロ紙に包んでゴザ座敷のマス席に・座布団をもって席を取る昼夜二回の興業である。
「エー、おせんにキャラメル、エー、ラムネにサイダー」と呼び声高く売り子がマス席を廻って売っていた。写真は阪妻の「雄呂血」だったと覚えている。
春日小楠弁士による
「東山三十六景静かに眠る、突如暗闇の静寂を破って聞こえて来る剣戟の響き…」
すると、
「春日さ~ん…」
と呼び声がかかる。
やがて旭座を出て衆楽園に綿飴売り等が所狭しと並んで商いをしている。同級生佐々木諭君のお父さんがベッコー飴を売っていた。ウラを舐めてヒョウタンを取り、それと引換えに大きい飴をもらう。それをまた舐めながら旭公園へ。
陣羽織姿で男女が踊りをやっていた。家に帰ると父方の実家、母方の実家、伊達郡伊具郡、双葉郡等から、伯父伯母、いとこ達が来ている。二十六畳の座敷いっぱいになって、呑めや歌えの大盤振舞いである。母の自慢の民謡が出たり…。
明けて十二日、赤飯の朝食も終わり、姉と二人で原(雲雀が原)まで客を案内して行く。お山の上でよい場所に陣を取り、行列の来るのを待つ。やがて国道から鎧甲姿も颯爽と、静々と、行列が進んで来る。大勢の山の上の見物客からドヨメキと物凄い拍手の音が、山一面に広がる。
やがて儀式が終わり、旗取りの行事が始まる。旗をムチの先になびかせて、お山の七曲がりを登って来る。お客達は余りの勇壮さに唯々目を見張るばかり。
三時頃迄見て帰る。機関庫で機関車の方向転換する所を見せてあげる。みんな鷲いている。無線塔を見ては又驚く。イトコ達に俺達の街はこういう所なんだと自慢気に話していた事を思い出す。
(あぶくま新報・平成3年)
注。「雄呂血」阪妻プロ奈良作品。脚色寿々喜多呂九平「無頼漢」改題。監督二川文太郎。撮影石野誠三。漢学者松澄永山(関操)の娘奈美江(環歌子)をひそかに恋していた久利冨平三郎(妻三郎)は、永山の誕生祝の夜、多勢の門弟の中で家老の倅浪岡貞八郎の無礼を怒り腕力沙汰となった。それが藩主に知れて閉門をいい渡された。また途上で永山や奈笑江の良からぬ噂をする侍をこらしめたことが永山に知られ、事情を委しく知らぬ永山から破門された。自分の良いと信じてやったことが事ごとに誤解され、放浪の旅に出てもそれは続いた。彼の心は歪み世人からは無頼漢と罵られた。ある町の料理屋の店さきでふと見かけたお千代(森静子)への強い執着。その執着にひかれてこれも誤解から入れられた牢を破って来て見れば、お千代はすでに人の妻だ。捕り手に追われて侠客次郎三(中村吉松)のふところに飛びこむ。ところがこの侠客がインチキで、病気のために難渋する夫婦者を助けたのはよいが、美しいその妻を横取りしようとする。その妻とは、平三郎にわすれられない初恋の女奈美江である。平三郎は白刃一閃。見事に次郎三を斬り倒した。目明し、捕り手、おびただしい御用提灯、乱闘また剣戟、力つきた彼は群衆の嘲笑の中に曳かれて行く。が、このあわれな平三郎の曳かれ行く姿を、町角で伏し拝んでいる奈美江夫妻のいたことを群衆は気がつかない。(大正14年11月20日、浅草大東京)