朝日座開館当時の旦那衆 大正12年、旭座が映画常設館として開館
朝日座(当時は旭座)の開館の折の記念写真がある。
 大正十二年。舞台の緞帳に刺繍された連名を見ると、当時のスポンサーが判る。次に掲げてみる。(右から)  K.Y.山崎自転車店  佐木材商佐藤儀平  旅館・御料理中野屋支店  内湯・旅館松乃湯  愛原印刷所  婦人良薬・山城屋商店  門馬呉服店  合資会社岡田商店  鈴木商店  御料理岩城屋  関場清松  松永酒店  松永商店  御料理越後屋  富岡屋酒店  写真高倉  旅館御料理西山旅館  小田製作所  桜井写真館  御料理千鳥  三光丸  藤田自転車店  開館記念写真に写っている人物は右から吉田寅蔵(鶴谷)、布川実、佐藤栄蔵(鶴谷)桜井今朝松、山本貞蔵(鶴谷)、日下庄吉(小高町鳩原)、佐藤宏(芸名南部幹人ナンブミキンド)、関場清松。もともとは町の旦那衆たち十二人が、寄り集まって出資した常設活動(写真)小屋だった。もちろん音のないサイレントなので名調子の喉で弁士が解説する。トーキーの出現は昭和まで待たねばならない。  升席で、花道がある。桟敷もある。地方回りの芝居も立ったが、映画常設という所が時代の最先端だった。  山本貞蔵は旧太田村鶴谷の人物。原町の繁華街に貸家を持っていたという。現在の山本商店の当主山本栄一氏(六四)は、その直系の孫にあたる。  「私が五年か六年生の頃、木札を持って朝日座に映画を見に行った覚えがある。今でいえば招待券でしょうかね。祖父がオーナーの一人でしたから、その家族は入場無料の木札を持っていた。パチンコ・メトロの以前はライオンというカフェーがありました。当時のあの辺の遊郭やカフェーなんかに家作を貸していて、だいぶ財産を増やして羽振りが良かった。自分の臨終の時には、人と同じ棺桶じゃいやだといって、徹夜で特製の棺桶を作らせたという話もあるほど。現在の山本家の蔵もその時に作ったもので、当時としては風呂でも珍しかった高価なタイル張り。当時は土地の権利書を懐にして酒を飲んだり遊んだりして、財産を無くした人がずいぶんいたもんですが、それで財産を築いた人もいた訳です。 私も今の高校生ぐらいの時に、家賃を貰って来いと言われて、町まで出掛けて行かされたことがあります」と思い出を語る。吉田寅蔵は、もう一人の木幡吉次郎という人物とともに鶴谷の人で、山本貞蔵とは鶴谷の三羽がらすと呼ばれた当時のシティーボーイ。  「よく町に遊びに出掛けていって荒らしてきたそうですよ」と栄一さん。  佐藤栄蔵なる人物は、当時高砂屋という屋号の店を経営していた。日下庄吉氏は小高町の人。原町の繁華街に土地や家作を持って貸していた。  桜井今朝松氏は、宮城県出身の人物。佐藤宏氏は、役者をしていた芸人。関場清松氏は現在の関場建設の創始者。大正十年七月に開局した磐城無線局の(無線塔のある)原町送信所の局舎の建設を請け負って、次の仕事がこの朝日座の建設だったという。  緞帳に名を連ねたスポンサーの中には、今はない商店や料理店の名もあるが、現在まで続いているものでは、中野屋支店(現・第一イン原町~ラフィーネ)、愛原印刷所、岡田商店(自転車店)、松永商店、西山旅館などがある。  山城屋というのは、元原ノ町駅前郵便局長の折笠幸雄氏(旭町二の三)の祖父晴範氏が小高町から原町に移って開業した店の屋号。駅前郵便局を開設して局長になった。しかしこの祖父は大正八年に死去しているため、大正十二年の朝日座開館の時には山城屋は次代の父親竜介氏に移っていた訳で、二足の草鞋で雑貨店の店主と同郵便局長を担当していた。この時代は公務との兼務が可能だったという。  当時は薬、文房具、生活雑貨のほかに「カメラまで商っていた覚えがある」との幸雄さん談。門馬呉服店の子孫は、現在原町市南町に司法書士事務所を構える門馬真一郎氏。同店は南町の四葉交差点付近、旧国道浴いのヤクルト販売店の場所にあったという。ここから現在の門馬真一郎司法事務所までの土地が祖父永松(えいまつ)氏のもので、油屋呉服店の番頭からノレン分けして独立した。  「祖父が朝日座の創立時に旦那衆の一人だったことは聞いています。祖父は明治二十年生まれですから三十四才ぐらいの時ですね。今の事務所を立替える前まで、古い家の二階の物置に当時使ったラッパや蓄音機などがあった。ずいぶんハイカラな祖父だったようです。  私の世代では、月光仮面とか七色仮面とか、真吾十番勝負なんかをよく見に朝日座に通いました。昔オーナーだったからでしょうか、招待券を貰って見た記憶があります。昭和三十年代は今のテレビを見るのと同じ感覚で映画を見てましたね」と門馬氏。小田製作所は、小川町にあった鍛冶屋。のちにバイオリン等の楽士として朝日座で活曜することになる小田勇氏(七六)の実家。小田氏はのち同所に戦後釣具店を開業し、大町の現在地に移った。岩城屋というのは、現在の常陽銀行のある揚所に、当時としては珍しい木造三階建てを構えた料理店。越後屋は現在のカラオケ第一興商の場所。千鳥というのは不明。三光丸は、富山の薬の登録商標で、卸行商で普及した薬の名だ。愛原印刷所は明治三十八年の創業というから、かなり古い。大正十二年には当主は愛原金十郎氏といい、現在の社長の祖父にあたる人物。高倉写真館は子孫が四倉で営業。桜井写真館は今はなく、このうちのどちらかが朝日座開館の記念写真も撮影したらしい。(あぶくま新報・平成4年2月28日)文中の年齢は取材時。

Total Page Visits: 1627 - Today Page Visits: 1