大正12年7月2日福島民報。
「旭座舞台開き」
相馬郡原町南部三木人、布川実、松浦清蔵外数氏の組合で同町東一番丁に劇場旭座の建築中であったがいよいよ其の工事落成したので東京名代坂東勝三郎、中村翫十郎の大一座を招き二日より三日間盛大なる舞台開きをする筈であるが同劇場は裕に千二三百を収容するに足る可く中々宏壮なもので舞台や外廻りの飾り付なども頗る見事に出来上がった、尚ほ初日の出し物は左の如くである
第一、天下知桔梗籏揚(三幕)第二、絵本大功記(尼ヶ崎)第三傾城阿波の鳴門(お弓子別れ)第四、増補朝顔日記(宿屋より大井河迄)

とうとう、みつけた。
朝日座は大正12年7月2日に開館したのである。
大正12年といえば、9月1日に関東大震災が起きている。わずか2年前に磐城無線電信局の原町無線塔が建立されていたばかりのこと。鉄道も有線電信も原町に敷設されたのが明治30年代。さらに20年後、ラジオ放送も開始されていない時代に、この小さな町にアメリカに直接に無線送信する施設ができたというのだから驚きである。
朝日座は芝居小屋であると同時に活動写真の常設の機能もそなえたニューメディアの最先端であった。
さかのぼって、朝日座が閉館した翌年に、朝日座の来歴を調査しはじめたころに関係者を歴訪してまとめた開館当時のようすについて、発表した記事を次に再録する。発表当時は大正10年としたが、今回は史実が確認され大正12年と訂正した。

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