活動常設・原町アサヒ座の誕生
相馬市史の通史巻未の年表に「大正2年(1913)この年、原町の朝日座で映画上映(相馬郷土誌)」とあるが、これはとなり町の中村の住人の編纂した記述でもあり、明らかに間違いである。当時、まだ朝日座は開館していない。明治期に、原町座という芝居小屋は出来ていたので、最初の映画はこちらで上映されたというのが自然である。あるいはまた原町の名物野馬追や、秋市の時に盛り場の中央にあった広場衆楽園か野馬追祭りの時に原の入り口に並んで仮設された小屋掛けのテントにおいてであったかも知れない。
原町市史では「明治43年(1910)原町にはじめて映画が上映された」とのみあって典拠がない。どこでどんな映画が上映されたのか不明。「はじめて」ではない。
平成6年に発行された原町市教育委員会の写真集「中ノ郷から原町市へ」の巻末年表にも「大正3年、原町朝日座映画上映」との記述がある。当然、これも間違いである(しかしなぜ大正3年?)まだ朝日座は開館していない。小学生向け「社会科はらまち」の年表には、大正8年に「旭ざができた」とあるこれも違う。
昭和43年に発行された原町市史の年表に大正10年(1921)「旭座が映画の常設館になった」とある。しかし「になった」のではなく、最初から常設館「として」開館したのである。この中途半端で曖昧な記述が平成元年に発行された原町市教育委員会の「原町市の文化財」年表の「大正10年」という誤りをも誘導している。さらには新設された野馬追の里の原町市立博物館の年表表示にも「になった」と、同じ過ちが記されている。こうした多くの間違いが、直接的には私をして2年間の映画史研究の毎日に没頭させる結果となった。その結果、明治38年には中村ですでに日露戦争の活動写真が初上映され、原町とその他の相馬双葉地方でも、同時期に巡回上映されていることも判明した。
平成3年に閉館した朝日座は、通算69年で幕を降ろしたことになっていたが、実は開業が大正12年7月2日であることが判明し、あらためて計算すると67年間の現役だったことになる。
映画の歴史は100年を超えた。すでに自分はその半分を共に生きた。半世紀の時間を原町の朝日座と共有したのだ。私にも、ものを言う権利はあるだろう。