昭和13年7月31日民報。
三十年の憶い出残し ランソン女史帰る
 相馬の浜に住んだ神の使徒
日露戦役の勃発した明治三十七年三十二歳の時渡日して以来三十三年間ひたすらに神の教へを農村漁村の信者に説き続け六年前より相馬郡福田村磯村の海浜に居を卜して朝夕の勤行と共に村民から慈母の如く親しまれていたキリスト教聖公会伝道師米人アンナ・エル・ランソンさん(六五)が思ひ出深い日本を後に九月十五日神戸出帆帰国する事となった、三十三年の日本生活にすっかり血色まで日本人らしくなった、ランソンさんは往訪の記者に上手な日本語で語る
 日本はもう自分の故郷と同じです、生まれ故郷であるワシントンの西六○哩ハーバースフェリーの町に居る兄や妹が是非帰れと云ふので今度帰国することになりましたが本当に日本を去るのは寂しい、日本は善いとか悪いとかとかを超越して離れがたい愛着を感じています
 同女は同村内の洗礼を受た信者約八十名に何くれとなく親身も及ばぬ世話をしていたもので「今度支那事変の銃後と日本の護りの状況はどんな風に見られますか」との問に両手を振って語らなかった

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