嫁のつとめ
 言葉は訛りがひどくて通じないし、すべてが今までの環境と違いました。事務所のまえにはこも冠りの酒樽が置いてあり、来る人来る人が杓で一杯飲む習慣で(幸いにして主人は弱くせいぜいビールなら小瓶、酒なら七勺でした)酒を知らない家で育った私には晴天の霹靂でした。しかし父からの「郷に入っては郷に従え」との言葉に従うほかありません。東京で式をすませたのですが、またまた小高での三日間の宴会も終わると、父も母も東京の人は皆帰って行きました。本当に一人ぼっちという心境で悲しくなりましたが、泣いてもいられないし、私もその家の嫁です。
 お手伝いさんと四時半に起き、姑が起きるまでに、火吹き竹で消し炭の火を起こし、湯を沸かし、食事は五時半です。六時には昼夜兼行の職工の交代時間で主人は工場へ出て行き、あとは食事の片づけ、掃除、洗濯が終わると八時半、又十一時半の昼食の準備です。午後は二時頃あと片づけが終わると五時の夕食の準備、やっと解放されるのは夜の八時頃です。姑や義姉たちは九時頃寝てしまいますが、私たち夫婦は、十二時に夜勤の職工一〇人に夜食を配らなければ寝られませんでした。
 私も田舎の習慣になじむように、職工と話すときは小高弁を使うようにしました。自分では上手になったと思っていたある日、一人の行員が恐る恐る台所に来て「奥さん、お長いがあります」というので何事かと聞きますと「奥さんの小高弁は通じないから、標準語で話してくれ」とのことで、私にとってはこんな感謝の事はありません。その日から、大手を振って標準語を使えるようになったのです。
半谷昌「ナルドの壺」p117

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