東洋宣教会の伝道

 ノルウェー宣教師たち 中村で1951年頃
 
 
中村キリスト福音教会の創立

 
 東洋福音宣教会が相馬市中村に開拓伝道のため第一歩を印したのは一九五一年(昭和二十六年)五月六日のことでした。二十六年前東洋福音宣教会(ノールウェイミッション)は「中国内国伝道」をしていたのですが、第二次世界大戦後の中国は「共産主義」政治になったので、宣教師達は中国に留ることが出来ず、海外に追放されたので日本に来る機会となったのです。
 東洋福音宣教会の歴史は「ノールウェイ国」の歴史にいささか関係があるのです。一八四二年に初めて海外宣教会、が設立され、印度、アフリカに宣教師が送られました。そのいくつかの海外宣教会の中に「東洋福音宣教会」もあり、独立して宣教活動を始めたのでした。
 その最初の指導者達、トレード師は学校教師、ヨルゲンス師は婦人囚人教戒師、グルバーグル師は軍人、何れも平信徒から伝道者になり、グルバーグル師が初代会長になりました。一八八九年、当時中国内陸伝道の開祖として薯名なハドソンテーラー師(英国人)は中国伝道の重要性とその急務とを彼等に告げ、人々を促したので指導者達は中国伝道のビジョンを信仰の目で見たのです。
 かくして中国内国伝道の第一陣は婦人宣教師二名であり、中国に上陸した時宣教師達は経験豊かなハドソンテーラー師の助言と励ましを受けて伝道を始めた。
 当時の宣教地は黄河より南、セチワソ地方、中国大陸でも災害と疫病の多い、貧困と非文化の甚だしい地であったが、その後宣教師が数名づつではあるが中国におくられて来た。
 一九一〇年新しい伝道の分野が拓け、次第に中国の奥地(山西省)に移って行った。
 第二次世界大戦は山西省までも及び、やがて悪夢のような戦争は一九四五年に終りを告げた。これからば再ぴ自由に伝道が出来るようになったと喜んだのも束の間、中国の状況が少しづつ不穏になりて釆た。ついに中国共産党が国内を支配するようになつたのです。
 一九四八年(戦後三年)中国共産党の命令によって中国々内の宣教師は全員出国とのことであった。中国を出て香港に集結するように強制された。
 戦後、日本には信仰の自由があったので中国に近い日本に伝道するよう導きを受け、日本宣教の使命をいだいて香港から日本に出船したのである。その頃、中国伝道三十年の宣教師イングワード師を指導者として、コングステン師、アンドース師の三名は一九五一年四月二十二日横浜に着いた。越えて五月六日、すでに白河市に伝道していたシルバーブランド氏の案内をうけて相馬市に第一歩を印した。その日は日曜日なので日本キリスト教団中村教会の礼拝に出席した。藤本牧師と鎌田長老が会って事情を聞いたところ、賀川豊彦氏から福島県の海岸線は随分長いが宣教師は居ない、その辺に伝道するがよかろうと聞いて来たとの話、(賀川豊彦師は嘗てノルウェーに於て日本の宣教のために宣教師をおくってくれるようにと話された。それを聞いた人達は日本宣教のために祈っていたとのこと)。
 その後更に数名の男女宣教師が着任し、当分教団中村教会で礼拝を共にしたが五月末からは北町に新たに購入した元田崎氏の邸宅で土曜日の聖書研究会が始った。やがて便利な場所に伝道所を移したい希望で大町角に借家して昭和二十九年十月ここに移り礼拝をし諸集会が行われ、正式に相馬市に開拓伝道が開始された。その後縷々駅前広場にテントを張って連夜の野外集会を開き大衆に呼びかけるなど活溌な伝道が行われ、教勢も急速に上昇した。
 昭和三十六年一月十六日に市内川沼に教会堂が建てられ、八月に献堂式が挙げられた。現在中村福音教会と称して居る。牧師は東条邦夫氏である。北町の家は新任牧師を迎えたことにより不用となったので、大手先におられた泉田泰子師にゆずることになった。泉旧師は東洋福音宣教会中村伝道の初穂であり、宣教師の良き助け手である。
 今や宣教師の時代から日本人牧師に移され福音教会は前進している。一九七六年(昭和五十一年)五月一日本宣教二十五周年記念聖会が開かれた。一九五一年(昭和二十六年)からこの二十五年間に教会九、伝道所九、教職者九、宣教師八、信徒数一五〇人。この短期間に中村、原町、湯本、勿来、内郷等に教会が作られ、七七年四月から岩手県宮古市に開拓伝道が始められ、相馬中村は東洋福音宣教会日本伝道起源の地と言うことが出来よう。
(この項東条邦夫師の略記より・相馬市史)
 

中村キリスト福音教会 チャールズ・ローランド撮影

 中村キリスト福音教会の歴代教師

小林初之輔師 1956~57
佐藤英一師 1957~1962.3.
クヌッツン師 1960.3.1.~
東条邦夫師 1962.3.28.~1983.8.21.
A・ブルースタード師 1983~
グラブクレーグ師 1985.7.1.~
中村徹師 1985.8.19.~1989.3. 
 中村で3年余つとめたのち静岡へ。
栗原隆師 1989.4.~
 栗原氏は1967年夕張キリスト教会より団体に加入、湯本キリスト福音教会に着任、1969年5月、福音伝道教団、市川惣蔵師により牧師按手を受ける。1974年札幌福音教会より招請を受け2年あと石狩に開拓伝道して12年間、その後、1989年4月宣教会に再加入、中村キリスト福音教会牧師として就任、現在に至る。
 原町キリスト福音教会が、1994年無牧になってからはこれを兼任している。 

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