大正五年、会堂の建設を思いたった杉山は、信者や融資によびかけて建設資金の募集に掛かったが、杉山の活躍をヘブライ学者左近義弼からきいた実業家男爵森村市左衛門は当時の金で七百円をおくってきたために事業は急速に進み、農村青年の無料奉仕をうけて七年十二月に完成、この年のクリスマスは新しく出来上がった会堂で盛大に行なわれた。
 その間杉山の小高を中心とする活動は、福島県だけでなく、東北地方や関東地方の一部までおよび、その行動半径はいちぢるしくひろがった。彼は各地で主として農業経営に関する講演を行ったが、彼はその間に「農村経営の理想」「農家経営の実際」「農家経営実地応用五用論」など農業経営に関する著書を出版し、著作活動においても旺盛な意欲を示した。

 そこへ欧州大戦後の社会情勢の急激な変化が起り、都市では労資問題をめぐって騒然たる空気が高まった。そのなかで杉山がかつて手がけた八沢浦干拓地でも、順調に生産があがるにしたがって治部氏が小作人を搾取する傾向が強く成り、杉山は農民の生活向上のためには、単なる農業の技術指導や精神教育だけでは限度があることに気づいた。そして社会運動に目をむけはじめたころ、大正七年十一月号の雑誌「雄弁にのったのが沖野岩三郎の書いた「日本基督教の新人と其事業」であった。

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