100歳の記憶
高橋フジヨという女性が原町の長寿荘で暮らしています。今年3月16日に百才の誕生日を迎えました。
昨年秋、福島新町教会が創立百周年を迎えて百周年記念誌を発行したものを滝山牧師から頂いた。この教会は現在は日本基督教団の一員であるが、もともとデサイプルという教派の教会で、かつて原町に存在し日本基督教会を凌駕する教勢をもった原町基督教会と同じ教団に属し、牧師・伝道者が人事で交流するなどの密接な関係にあった。
私が最初に訪問したのはその取材のためである。大正15年から昭和5年まで原町基督教会の牧師だった多田吾助牧師が、それ以後は昭和43年までの38年間にわたって福島で牧師をつとめた。多田は八沢村の生まれだが、前任地が原町基督教会であったため原町から来た牧師として信者間に親しまれ、45年に昇天し、没後も古い信者等の記憶の中に生きている。
さてその百周年記念誌の中に、次のような箇所があった。
「多田先生・宍戸先生にとりついで下さった高橋先生夫妻は、ながいことアメリカにおいでになったクリスチャンでした。奥様は今年百歳になられて原町の長寿荘にお元気でお暮らしになっております。」
さっそく原町に駆けつけたことは言うまでもない。
高橋フジヨ姉インタビュー
「開拓は大変でございました。戦後すぐに阿武隈山系に入りましたが、地味が痩せていて、 ジャガイモぐらいしかとれませんです。16年前にここが出来てからずっとおります。生活が楽になったのは、ここに入ってからでございますよ」
しかし、高橋さん夫妻は、福島県双葉郡というキリスト教の未開拓地で無数の魂を耕した。夫の清さんはアメリカ暮らしの長い人物で、若い時渡米して働きながら大学で学んだ。アメリカから牧畜とキリスト教を導入すること。それが夢だった。
アメリカにこの希望を伝えると、ミッションからオーケーの返事。「食事と住居を用意せよ」との手紙が届く。昭和22年9月にホレチェック宣教師が初めて開拓地の土を踏んだ。
若い夫妻は庭に植えた胡桃の樹にちなんで新しい会堂をウォルナットヴァレー教会と名付けた。ロマンチックな生き甲斐を忘れなかった。
開拓地にわずか6軒の新農家。はたしてこんな場所で伝道活動が可能なのか。誰もが懸念した。
しかし高橋清が見た幻は、実現した。
大野教会と熊町教会、小高教会の三つのバプテスト・チャーチに老若男女が集い神を賛美する歌声が教会堂にあふれ、富岡、浪江、原町など信者の自宅で定期的に集会が持たれ、神の言葉が延べ伝えられている。
フジヨさんは山口県生まれだが娘時代から東京暮らしが長く、言葉も教養も物腰も洗練されている。
夫の高橋清はアメリカ留学した開明的な人物。粉ミルク製造の特許を持って戦前は夫婦で中小企業工場を経営し、大企業に製品をおさめていた。明治も森永も粉ミルクメーカーの創業者にはクリスチャンが多いようだ。のちに原町基督教会に招請された岡田静雄牧師の兄も高橋清夫妻の工場で働いていたという。高橋清と道教の双葉地方出身でクリスチャンという間柄である。
フジヨさんは上品な口調と衰えぬ記憶力の知的婦人である。歩くことも食べることも支障はない。百歳を迎えた、それ以上に健康でしっかりとした精神。それこそ神様からの大きな贈り物だ。ハレルヤ。