祖父民蔵の隠居
 本家は明治三十四、五年頃まで、祖父民蔵の隠居屋敷に農業の傍ら商業をしていたが、鉄道開通の機関車による飛び火で火災となり、店のみを残して消火したものの、鉄道線路より離れて住むために土地を求めていたので、本家の畑が現在橋本家の住む土地であるため、これと土地を交換してこれに隠居し農業と商いをして暮らした。以上は徳伯父さんの話。
長男精松の妻チヨ(父高野民蔵、母シゲ)明治23年6月22日生、
 明治44年5月24日、相馬郡大田村高字城の内一番地 高野清松と結婚。
高野孝(父清松、母チヨ、精之助の孫)長男、大正2年8月9日生。
高野猛(父清松、母チヨ、精之助の孫)大正4年5月22日生、
高野チヨコ(父清松、母チヨ、精之助の孫)長女大正7年2月20日生、
高野トミ子(父清松、母チヨ)大正9年3月10日生、大正9年3月17日午後7時相馬郡大田村高字城の内一番地で死亡、
高野マツイ(父清松、母チヨ、精之助の孫)四女、大正10年7月20日生、大正14年5月13日、北海道網走郡:」津別村大字逢瀬大字津別北二線37番地の10にて死亡。高野精之助届出。
高野トミ子(父清松、母チヨ、精之助の孫) 昭和5年3月20日生、
     出生地 北海道網走郡津別村大字達婚字新北の線27番

光雄の父方祖父精之助の長女 フジイ 明治38年11月26日生、大正、宮城県亘理郡坂元村坂三百六番地、大石清作と結婚。
      四男 清吉 明治34年9月9日生、
      長女 フヂエ 大石家
分家七代精之助三男 高野 国吉(光雄の父)      
 福島県相馬郡大田村(現南相馬市太田)高字弥六堂十番北
     明治30年(1897)6月20日生
     昭和35年(1960)1月16日午後6時15分茨城新治郡玉里村大字栗又4ケ2410番地で死亡。次男高野昭夫同月18日届出。両親の墓地は東京都清瀬市の圓通寺にある。 
     妻 キヨ (父藤岡禧一、母タミの二女)明治32(1899)年2月16日生、出生地 相馬郡中村町字袋町85番地に高野国吉と結婚。     
       大正7(1918)年12月30日、福島県相馬郡中村町(現相馬市)中村字袋町85番地にて高野国吉と結婚。
       昭和46年(1971)71歳、3月23日、午後6時零分清瀬市で死亡、同月24日同居の親族高野ヨシ子届出除籍。
     両親とフサ子、スミ子のお墓は清瀬の圓通寺に埋葬されている。
 国吉の長女 ヨシ子 大正15年(1926)5月25日生
     福島県立原町高等女学校卒業            
     出生地 相馬郡原町南新田字南東原七番地
     2012(平成24)9月22日 現在清瀬市に住んでいる。
     2016年3月23日、肺炎で所沢小手指の病院に入院加療中、92歳
 国吉の次女 フサ子 昭和3年4月7日生、
   出生地 相馬郡原町駅鉄道官舎23号。
   昭和4年2月8日午前2時原町南新田字南東原七番地で死亡、
 長男 国雄 昭和4年(1926)7月4日生
    出生地 相馬郡原町南新田字南東原7番地            
    平成23年3月23日、午前10時40分 82歳で死亡、           
2011(平成23)年3月11日の大震災と津波で原発が破壊され11日と12日に放射能が漏れ大熊病院に入院中だった国雄兄は避難する際皆に置き去りにされ3月16日、自衛隊に依って発見され伊達市の保原病院に搬送されたが3月23日、福島県伊達市保原町上保原字羽山1番地、福島松が丘病院で肺炎で死亡した。双葉病院の院長は母方親戚の鈴木文雄薬局の長男鈴木市郎である。  
    保原病院には光太郎と二上英朗氏と共に行き火葬し、自宅に持ち帰り、49日に孫たちと共に讃美歌と聖書で供養し、東京都板橋区の練馬近くの安養寺に永代供養をお願いしてある。
     清瀬の圓通寺には所有者の直系で無いことから住職に断られた。現在(2012年1月)両親と二人の姉妹は園通寺に埋葬されている。墓所はヨシ子姉とトシ子姉で購入、墓石は私が建てた。住職が変わり国雄の同墓地に埋葬が可能になった、
三女 トシ子 昭和6年(1931)1月4日生
    出生地 相馬郡原町南新田字南東原七番地
    福島県立原町高等女学校卒業
佐々木 春芳と結婚 昭和30年8月31日、
    所沢市久米714番地に入籍。
    同年宮本町 11-10-12の新居に引っ越す。
長男 由紀夫(原町市の鈴木材木屋の長男との子)、法政大学卒業後小学校 の先生を60歳まで勤めて後他に務めに出て3年になる、
次男 伸哉(光雄が命名)
長女 真理子(光雄が命名) 
次男 昭夫 昭和7年(1932)7月21日生
    出生地 相馬郡大甕村北原字西木戸十番地
    福島県立相馬農業高等学校を卒業
   渡辺 カネよと昭和35年に結婚後ブラジルで離婚    
   菅原 律子と結婚、子供を7人もうける。新作、英雄、清、明美、順子、
昭夫2004年、ブラジル国ミナスジェライス州ノーヴァレゼンデにて死亡(69歳) 
 四女 トミ子 昭和8年12月9日生
   出生地 相馬郡大甕村北原西木戸十番地
   昭和9年1月8日、午前零時五分本籍地で死亡
 三男 勝義 昭和10年(1935)4月29日生
   出生地 相馬郡大甕村北原西木戸十番地
   東京中野無線通信学校卒業
   昭夫、光雄と3人でブラジル移住,サンパウロ在住。
四男高野 光雄 昭和11年10月30日生、
  妻 祥子 昭和20年6月30日生、
   出生地 中華民国天津特別区、本籍地;鹿児島県
   結婚 昭和41(1966)年6月15日 ブラジル国の方式により 婚姻証明書を提出同年9月18日ポルトアレグレ総領事館から送付、鹿児島県姶良郡姶良町北山1479番地小倉辰巳戸籍から入籍。(事実上の結婚は1965年3月17日)
  長女 江梨香 昭和41年4月5日、ブラジル国サンタ カタリーナ州ブルメナウ市で出生、昭和61年2月27日、日本国籍取得。同4月5日届出、同月17日東京都東久留米市長から送付入籍、
   昭和63年4月4日 国籍選択の宣言届出 従前の名前,タカノ エリカ
   平成3年8月14日、伊藤和義と婚姻届出、同月9日新宿区から石川県金沢市橋場町8番に新戸籍作成
 次女 真理香
  昭和43年1月5日、ブラジル国サンパウロ州ランシャリア市で出生。昭和62年12月16日国籍取得。昭和63年2月3日届出同月5日千葉県柏市長から送付。ブラジル国従前の名前タカノ マリカ マルシア 平成2年6月11日国籍選択の宣言届出同月25日神奈川県平塚市長から送付。 
 長男 光太郎 昭和44年8月14日生、
  昭和62年2月3日、国籍取得同17日埼玉県川口市長から送付入籍。取得の際の国籍ブラジル国、従前の名前タカノ、コスモ コウタロウ。平成3年7月22日、国籍選択の宣言届出同月23日東京都品川区長から送付。
  三女 みどり 昭和46年3月20日、ブラジル連邦共和国サンタカタリーナ州グァラミリン市で出生。平成元年8月14日国籍取得同年9月11日届出同月16日群馬県邑楽郡大泉町長から送付入籍。取得の際の国籍ブラジル連邦共和国、従前の氏名タカノ ミドリ イエダ、平成2年6月11日国籍選択の宣言同月25日神奈川県平塚市長から送付。

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