馬城会文庫 創設の頃

 最期に書き添えておきたいのは高野正己先生からの次のような便りである。

 今朝鈴木安蔵君から電話あり、相中時代の恩師からの手紙を保存してあるにつき、往時の想いでを書き綴りたき事、馬城会文庫にも全面協力するつもりなるも、反動校長などもあり、左翼的著作を毛嫌ひされても如何か、案じているとのことでした。

 また別便で

 同君が弁論大会で優勝、その旗と共に校長(滑川)、部長と三人の写真、校長室にかけてあったものを同君が左翼になり、外されたとのこと、時代が時代だから笑って語りました。

と、戦時中鈴木氏は川上肇氏の愛弟子ということで、思想的に問題があり、母校でさえこのような冷たい仕打ちをしたという。それ故に著作集の寄贈の呼びかけに躊躇したこともあったと高野氏はおっしゃる。鈴木氏は「人間形成期の中心たる相中時代についても自身執筆しておこうとの気持ちを持ったことです」と氏の人間形成の最も大切な部分は相馬中学にあったと回想され、又追伸として「いずれ老生の著書も、書庫整理の上に若干馬城文庫へ送るつもりでおります」と「文庫」へのご寄贈を約束してくださった。が、後日譚となるが氏の想いが実現しないうちに亡くなられ、その時、氏の著作集の一部と相中時代に関する資料の譲渡を遺族の方にお願いしてほしい旨を、当時の馬城会の某氏に申し上げたところ、言下に左翼思想の持ち主だからということで取り上げてもらえなかった苦い思い出もある。p746

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