はじめに
平和憲法70年おめでとうございます。そしてペンテコステおめでとうございます。6月10日は原町教会の創立記念日ですので、この日に小高教会で小高の話をします。
さる5月3日の憲法記念日には、友人の栗村文夫ご夫妻の発意と主導で浮舟文化会館でわれわれ有志5人が「日本の青空」上映会をいたしました。170人が集まりました。今日のお話は、そのつづきで、安蔵博士の少年時代に小高町はどんな町だったか何を見たか、そのころのキリスト教の牧師と博士の両親のエピソードです。
同郷大阪から神様が杉山元治郎と出崎栄太郎の二人を引き寄せて異郷南相馬で新しい役割を果たさせる物語が、百年前の鹿島と小高で起きた。これは不思議なことで、わたしには神秘です。
その同じ百年前に、相馬の中学生になった小高生まれの少年が、福島で行われた少年弁論大会で颯爽と彗星のようにデビューします。鈴木安蔵氏です。この人はクリスチャンの両親のもとに明治37年3月3日に生まれ、しかしその直前の2月12日に父親が若くして肺患で亡くなり、母と姉に愛されて育ち、学問に秀でた知恵と義侠心にみちた少年になりました。
やがて日本で憲法を科学として初めて学問にして、それ故に時の軍国主義政府から弾圧され投獄され、悪名高い治安維持法の成立で、名誉ある第一号の逮捕者になった。世間的には不名誉の極みとして指弾されいわれなき苦しみを受けました。言論を封じられ職を奪われ身体的精神的に拘束を受けて耐え忍びました。そしてついに敗戦によって解放されて、栄誉ある勝利を獲得します。
日本国憲法の設計図を民間憲法研究会の中心で草稿を書きあげ、これが人類の理想を高く掲げ、これをもとに時の支配者GHQと日本政府が書きあげて布告。施行されて70年の平和と繁栄を支えた。
一連の法の改変で戦争をしやすくし、アメリカの属国として軍事一体化をもくろむ政府が、かつての日本の誤謬を繰り返そうとしている現今、70年前に日本国憲法にこめた先人の深い配慮に思いを至すべきは、まさに今でしょう。
わたしたちの両親祖父母が生き、見た故郷で、百年前におこなわれた出来事は、百年後のいまわれわれに問いかけます。杉山元治郎自叙伝「土地と自由のために」、沖野岩三郎「八沢浦物語」「日本基督界の新人と其の事業」、鈴木安蔵「心の声」などの原資料のテキストを多用して、また百年前の福島民報、福島民友の常磐線、野馬追の記事から、鈴木安蔵につながる深い関係について述べます。
学生時代から社会的な活動にみちびいてくれた原町市憲法を守る会の先輩たちや、大学卒業後に住んだ小高で多くの先輩たちから聞いたこと、とくに鈴木安蔵博士の姉である瑛さんと会ったことが、この小冊子の懐かしい布石です。
思い出をいつくしみながら、あらためて口演を資料集に書きあげました。
2017年6月28日 梅雨の寓居で 二上英朗
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