噫諸君救はれざる幾多の罪囚を救った釈迦やキリストは之偉大なる信念の所有者でありました。
ヘエラの山中にありし只その道のためにあらゆう難行苦行に耐え、静かに天の指導をまちしマホメットや「吾は独逸の一貧僧に過ぎない、然し我の厳ずる所は万世不朽の神の真理である、吾を攻撃するならば、聖経の一句を以てせよ。」と叫んで、時の権勢鋭き羅馬法王に対抗したるマルチン・ルーテルも皆此の一大精神の人でありました。
ソクラテスやジャンダークや又マヂニーやマホメットや将又ルーテル等の名が幾千歳を経て猶ほ青史の上に不朽の輝きを印してをるのも之皆要するに、彼等の信念の力であると私は断言するを憚らないのであります。
斯く論じて来りますると蓋し信念なき者は必ず亡ぶと言ひ得るではありませんか。
然らば諸君、国民の間に何等欽仰すべき一大精神の確立するものなき現代日本の将来こそは、誠に悲しむべきものではありますまいか。
噫諸君、正に帝国の危機はせまりつつあるといふ事を感ぜざるを得ないではありませんか。此危急を救ふべき一大信念の必要を感ぜざるを得ないではありませんか。
諸君、希臘は何故に倒れたのであるか、羅馬支那は何故に衰微したのであるか、真にその基づく所以を悟ったならば、而してこの浮薄なる我国の現代を見渡したならば、どうして我々は享楽の夢より醒めずに居られませうか、緊褌一番どうして奮起せずに居られませうか。
諸君は嘗て仏国の画家ミレーの画いたあの「夕の祈り」といふ名画を御覧になった事があるでせう。薄ぐらく灰色ずんだ夕空の彼方、はるか遠く立ってをるカトリックの教会、勾配の急な屋根を背景に見せ近く二人の百姓夫婦が一日の労作を終へて将に家路をたどらんとした時遥かにひびきわたる夕の鐘をきいて、前にショベルとバスケットを置いて夫婦が手を合せ神に祈りをささげてをるといふあの平和に充ちたピクチャーを御覧になった時、必ずや諸君の中には、彼等百姓夫婦の如く汚れなきその日その日を送って清き生涯を送りたいと思ふた方があるでせう。
汚れなき日一日を送って清き生涯を送るといふ事には私は敢て賛意を表するに躊躇しないのであります。
然しながら諸君、考へてごらんなさい。
正に此の永遠の闘争時代に際し帝国の将来を双肩に荷ふてをる所の我々青年が只自己一人超然として沈黙に孤立に清き一生を送るものとしたならばどうでせうか、誰か危機に臨める帝国の将来を維持するでせうか、誰が東洋平和保持といふ一大使命を果し得るでせうか。
ここに於て私は吾々青年はどうしても強い信念に生きる愛国者たらねばならぬと力説するのであります。飽くまで戦ふ人生の勇者たらねばならぬと叫ぶのであります。諸君、現代の日本が要求するところの者は決して最も進化せる科学的智識のみではありません、更に経済的発展を斯する富力のみではありません。
又恐るべき精鋭なる武器のみでもありません、即ち此千万人と雖も我行かんてふ一大精神に外ならぬのであります。蓋し対外的武器は結局此大信念を措いて他にないからであります。
噫満堂の諸君、醒めよと告ぐる暁の鐘は殷々として響いて来るではありませんか。
正に我々の愛する祖国は第二の維新時代に遭遇しつつあります。此時にあたって新日本の建設帝国使命の遂行といふ偉大なる理想を胸に持してをる所の吾々青年は正に自由の真意義を輪廊とし真我の覚醒を其豊富なる内容とすると共に元禄時代の快男児天野屋利兵衛が多くの捕手を前にし従容として「天野屋利兵衛は男で御座る」と叫んだあの千万人と雖も恐れざるあの一大精神を胸に抱いて共に手を執ってこの貴き使命を果さんがために、聖なる力を捧げやうではありませんか。永遠の闘争時代に際し永久に勝利者の得意を歎美しやうではありませんか。
南欧の一詩人ロングフェローはかく歌いました。「人体に於て最も美はしいものは弓を満月の如く引き絞った姿である」と誠にエネルギーにみちみちた而して燃ゆる信念の宿ってをる者ほど美はしくも又強い者はないと信ずるのであります。
私も此言葉を借りて現代青年の間に砺礴 せる新しき意気と確固たる一大精神の美しさは美に此心ゆくまでグッと引き絞られた弓の姿にありたいと叫ぶのであります。
本日私が相馬中学弁論部の一人として鉄路甘有此地に参り、知事閣下並びに諸名士諸賢の前にみぐるしき此身を現して臆面もなく此栄光ある演壇を汚したるゆえんのものは要するに「燃ゆる信念は偉大なる力なり信念なきものは必ず亡ぶ」といふ溢れんばかりの心の声を披露せんがために外ならないのであります。
(相馬中学学友会雑誌 17号)
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