原町リバイバル聖書教会
戦後の昭和20年(1945)から24年(1949)にかけてGHQ(占領軍最高司令部)は占領下の日本で出版された印刷物の検閲を行った。GHQはあらゆる新聞、文芸同人雑誌、組合機関紙などを集め、反占領政策、反アメリカ、反民主主義的言辞に神経をとがらせた。これらの蒐集文書はメリーランド大学に一括して移され、にちに大学図書館によって保存整理された。GHQ戦史室に勤務していたゴードン・W・プランゲ博士は大学への移管に尽力し、このコレクションは彼の名を冠されてプランゲ文庫と呼ばれる。終戦直後の占領下の日本の文化状況が分かる貴重な史料であるため、以前から日本の歴史学者たちにとっても注目されてきたが、このほどメリーランド大学と国立国会図書館の共同作業でマイクロフィルムとマイクロフィッシュに撮影され、手軽にアクセスできるようになった。これら厖大なコレクションの中には福島県下のものも含まれ、原町の地元で出版された印刷物もあり、原町リバイバル聖書教会の機関紙H.H.G.(Haramachi Harmonious Groupe)という謄写印刷の文集も収められている。
これはホーリネス教団の岡田静夫牧師と汐子夫人が主宰発行した定期刊行物(月刊)である。第一号から25号まである。
第一号表紙にはmailed in june.1 copy only.(6月に郵送された。1部のみ)の書き込みが記入されている。またC.C.D.の刻印が捺印してある。これは検閲機関の受付印であろう。
バックナンバーを辿ってみると、次のような人々が執筆の常連だった。
青田悦子、岡田汐子、岡田静夫、小野田和子、折笠勇、折笠晴四郎、折笠宣彦、折笠幸雄、鹿又泰、三瓶政一朗、杉山金一、鈴木トキ子、鈴木知子、高篠信子、武山昭雄、野崎静雄、平野栄之進、松本京子、渡辺雄幸
鈴木トキ子さんは、北原聖療園というサナトリウムの療養者らしい。
のちにはバプテスト教会フランク・ホレチェック宣教師の寄稿も載せられている。
昭和21年に、ホーリネス教団は昭和16年に大同団結された日本基督教団からの独立を宣言した。国家統制のための合同は、体制側からの組織統制としては便利であったが、日本の戦争犯罪に対する宗教団体自身の反省を著しく鈍くした。戦時中、天皇の神性を否定するラジカルさを保持していたため、ホーリネス派の信仰は、人間の罪の問題を特に重視する一派であり、最も苛烈な弾圧を受けて最も多く獄死者を出した。天皇制を受け入れて延命した日本基督教団一般(なかには獄死した牧師もいた)に対する違和感が独立させたのであろう。
天皇制に対する態度は「踏み絵」であった。
しかし、原町リバイバル聖書教会の本質は、そのようなラジカルさではなく、主宰者の岡田汐子夫人の魅力に負うところが大きく、高校生のクラブ活動のごとき文芸部の体の印象が強い。娯楽の少ない当時、ガリ版印刷の文芸誌でもあった教会機関紙H.H.G.は、大きな魅力だった。