汐子先生のたからもの
木嶋あさ子
「これは何だろう」
押し入れの奥に30センチメートルほどの段ボールを見つけました。取り出してみると、赤茶け、すり切れたとても古いものです。赤い文字で「非常持出」と書いてあります。
中を開けてみますと、「記録帳」と書かれた古いノートが7冊と「H・H・G合本」と書かれた~ファイル3冊が入っていました。紙質や変色の様子から、ずいぶん昔のもののようです。これは汐子先生のものだとすぐにわかりました。引っ越しの時、まちがえて二階の押し入れに納めてしまったようです。
興味津々で、ノートやファイルをめくってみました。
ノートは、「日曜集会」、「金曜集会」の集会記録でした。毎回ちがう筆跡で、集会の進行の様子や乾燥が書かれています。それは、日曜礼拝のほかに持たれた日曜集会(午後一時半より)、金曜集会(夜7時より)の様子が、手に取るようにくわしく記録されてありました。
ファイルは「HHG(ホーリー・ハウモニアス・グループ)に機関紙でした。その意味は「聖く、美しく、調和した睦まじい群」とありました。創刊は、昭和22年(1947年)ですから、何と55年も前のものです。戦後まもなく、伝道を再開した福島県、原町キリスト教会当時のもののようです。「no.1~no.32
」にわたっていますが、一号分が30ページにも及ぶ分厚いものです。謄写版印刷ですが、表紙絵やカットがとてもきれいにほどこされています。
私はすっかりそれに魅了され、時を忘れて読みふけりました。詩、創作物語、証し、随想など、内容が豊富でとても素晴らしいものです。
「百万人の福音」主よ、お従いいたします
p7
汐子出会い
一九三一年(昭和六)六月、一家あげて宮城県石巻に移り住むことになり、私は石巻の女学校三年に編入されたわけです。ですから教会もそこのホーリネス教会に出ていました。
秋になったらころだったでしょうか、教会に特別集会があって、仙台の植松英雄先生がお見えになりました。集会が終わってから「先生、わたしはいつ救われたのかわからないんですけど、私はほんとうに救われているんでしょうか」と質問しました。
木嶋先生から、雑誌コピーを送っていただき、仙台の植松英雄先生という牧師の名が出てきた。この2年後の昭和8年の原町のホーリネス信徒の平野キヨさんの洗礼を司式した回想を平野さんから聞いていた。このときから、原町における戦後のホーリネス教会の交流が準備されていたことを知る。