原町行き 虎峯生
二
東アメリカ海一重の相馬原町は野馬追と無線電信で世界に有名である、そこの町長は一名ひげさんといふ歌人で、立派なる人格の所有者、堂々なる大人物である、其町長が就任一ケ年にして原町の発展は百年後の計画までも其基礎か 出来た、佐藤名町長の手でなされた諸施設の概要は、市区改正、市街の設計、耕地整理、町道路延長拡張、排水、高女設置、満州村建設、高粱酒製造会社設置、町営屠場、火葬場設置、町役場の新築、無電柱改築援助、大磯避難港運動、川俣道路自動車道の運動、営林署軽鉄援助、一大競馬場の設置、其の他あらゆるの問題地方発展に偉大なる力を致されて居る、故ある哉、原町民はzんぶ佐藤町長を以て神様のやうに敬って居る。
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ひげさんは数十年間政治の為めに尽くされた、普選の時など必ず上京私等と一緒になって日比谷に柴に大獅子吼をした、町長は自ら言ってゐる、吾等が播いたのだらうか私等が刈取るに不思議はない洵に至言である、地方民は此人をして遠からず中央の政界に送らねばならぬと唱へて居る。
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詩歌に言論に原町の今日あるは眞にひげさんの賜と云ってよもよい「酔ふてはまくらす美人の膝醒めては働く公共の為め」とは佐藤町長の事を云ふのである。佐藤町長の健康と愛待ち益益発展して行く原町は現に人口一万二千余此順で行くならば近き将来市制を布く事が出来やうとの事、それに県が頑迷にして地方の与望たる高女を云為するは佐藤名町長の大鳳の志しを知らざると云ふべきである
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