1990
 原町教会創立90周年


 1990年(平成2年)6月、原町教会は創立90周年を迎えた。

 9、10日に記念集会と礼拝

 日本キリスト教団原町教会(茶屋明朗牧師・原町市二見町一丁目八○番地)は、このほど創立九十周年を迎え、これを記念して特別伝導集会と記念礼拝を行う。
 九日午後七時からは、盛岡下ノ橋教会牧師の関茂氏を招き、「一度の人生を三回生きる」と題する記念講演を行うほか、十日午前十時半からの礼拝でも同氏が「閉じるな、開け」と題して記念説教を行う。関氏は、一九三六年に東京に生まれ、一九六〇年に東京聖書学校を卒業。「詩人の八木重吉・詩と生涯と信仰」「単純な祈り・八木重吉との対話」などがある。
 あぶくま新報 平成2年(1990)6月8日
 司会太田喜久子姉、奏楽遠藤美保子姉。

朝日座でクリスマス映画「塩狩峠」上映
 日本キリスト教団原町教会(茶屋明郎牧師)では先月十七日、十八日の二日間、映画館朝日座で特別伝道映画会として、三浦綾子原作の「塩狩峠」を上映。一般市民や約二百十名が鑑賞した。また十八日には、精神薄弱児施設原町学園の生徒や、アフターケアセンターの生徒たち約三十名が招待され熱心に映画を見ていた。
平成2年(1990)12月8日あぶくま新報203号

1991
クリスマス特別映画会
アパルトヘイトの子供たち

1992
 平成4年7月28日あぶくま新報。
外国人指紋押捺反対運動を展開する
在日韓国人青年の苦悩をアピール

在日韓国人二世を迎えて。
日本キリスト教団は戦前の大政翼賛的迎合への反省からアジアとの連帯を意識した活動を展開。
 在日韓国人二世で外国人指紋押捺を拒否して法廷闘争を展開している桃山大学講師金徳ふぁんさんが、十八日原町市を訪問。市内二見町一の八○の日本キリスト教団原町教会で「在日韓国人青年からのメッセージ」と題する講演会が開催された。
 金さんは大阪生野区に在住。同地区は人口の大半を韓国斉州島出身の人々が占めるという特殊な地域。ここで所属する教会活動の一環として在日韓国人の民族教育、在日一世の識字運動を行うなど指導的役割をしている人物。
 金さんの父親は、昭和十九年に日本軍によって強制連行された。九州の炭鉱労働者として強制労働をさせられ、あまりの過酷な状況から生命の危機を感じて脱走。逃走中に日本が敗戦を迎えたため、からくも解放された。
 徳ふぁんさんは一九四七年日本で生まれたいわゆる在日韓国人二世。高校時代までは、差別を恐れて日本名を名乗っていたが、やがて民族の埃に目覚め、同胞のために民族教育が必要と感じ、現在は「日本人と韓国人がともに生きることが出来る社会」を求めて活動中だ。講演内容は次のとおり。
 「韓国人女子大生が、在日同胞が暮らしている様子を調べに来た。韓国人留学生には親切なのに、在日同胞に厳しい状況を不思議に思ったという。
 在日韓国人は日本人にとって見えない存在。日本人学生に対して、なぜ在日韓国人が住んでいるのかという質問アンケートを行ったところ、日本の植民地支配の歴史のためと答えた人は十五パーセントしかいなかった。日本に居住するため(移民してきた)と答えた人が十五パーセントもおり、日本人の若者も認識不足に驚く。一番身近な近現代の歴史を勉強していない。
 私はイジメをおそれて在日韓国人であることを隠して生きてきた。高校生の時に郵便局で「君は韓国人だからここでは働けない」とと言われてアルバイトを拒否された。日本名で申請した同胞は許可された。差別を体験しながら自分を否定しながら生きるのはつらい人生です。
 最初はいやだったが、父に連れられて韓国に旅行した。そこで多くの親戚に会い、大きな驚きだった、妻となる女性とめぐりあって文通を開始したが、当初は相手は日本語が判らないので父親が翻訳し、自分はハングル文字が判らないのでやはり自分の父に翻訳してもらった。ラブレターを交わすためにも一生懸命にハングル文字をマスターした。在日韓国人といっても日本で生まれ、日本で育った人々はハングル文字を知らない。民族教育の必要を痛感した。
 帰国後、日本語を読み書き出来ない在日一世のために文字を教える識字運動を教会礼拝堂で開始。これは決定的な出会いだった。八十二才の老婆が初めて鉛筆を持った感激。自分の意思を表現できる感激に立ち会った。自分が老人に教えるのでなく、民族の歴史や人間の生き方を多くの老人たちから教えられた。消極的に生きるのでなく積極的に地域に参加する必要を感じた。
 在日韓国人は年金制度の恩恵を受けられないので、老齢になっても働き続けなければならない。地域を捨てて出て行く日本人の若者も、責任を感じて生きて欲しい。
 過去の不幸な歴史をみつめながらも、しかし私は日本人と韓国人が共に生きる社会に希望を持っています。」
 平成4年7月28日あぶくま新報。
 講演の始まる前に、石神に住む韓国人労働者ナムさんを訪問して金さんに会っていただいた。ナム氏は昭和19年に完成した石神水力発電所の建設に関わった人物。当時、150人の朝鮮人労働者が建設に従事しており、戦後何人かが原町に定住した。ナム氏はその最後の一人である。

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